「千島列島」と「北方領土」の違いとは?意味や違いを簡単に解釈

「千島列島」と「北方領土」の違いとは?二語の違い

この記事では、「千島列島」「北方領土」の違いを分かりやすく説明していきます。

「千島列島」とは?

北海道の東端からカムチャツカ半島の南端にかけて連なる列島のことを意味する言葉です。

北東から南西へと弧状に広がり、大小さまざまな島々から構成されています。

北千島、中部千島、南千島に分けられ、多くの火山島から成り立ちます。

これらの島々は、豊かな自然環境を持ち、とりわけ周辺の海域は魚類資源が豊富で、漁業の面でも重要な地域です。

「北方領土」とは?

第二次世界大戦後に、日本とソ連(現在のロシア連邦)との間でその帰属をめぐって争われている地域のことを意味する言葉です。

基本的に、南千島の国後島、択捉島と歯舞群島、色丹島を指すことが多いと言えます。

これらの地域は、日本の固有の領土であると日本政府は主張しており、ロシアによる不法占拠が続いていると位置づけています。

「千島列島」と「北方領土」の違い

「千島列島」「北方領土」の違いを、分かりやすく解説します。

「千島列島」「北方領土」は、地理的にも歴史的にも異なる特徴を持ちます。

「千島列島」は、カムチャツカ半島の南端から北海道の東端にかけての弧を描くように位置する一連の島々のことです。

ウルップ島からシュムシュ島までの18の島が含まれています。

その一方で、「北方領土」は、日本が国際的にその主権を主張している地域のことです。

具体的には択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4つの島から構成されており、これらは千島列島には含まれません。

歴史的に見ると、日露和親条約(1855年)によって日本とロシアの間で国境が確定され、その後の樺太千島交換条約(1875年)で日本は樺太をロシアに譲り、千島列島を得ました。

しかし、第二次世界大戦後、ソビエト連邦(現在のロシア)は北方領土を占領し、この地域の帰属を巡って日本とロシアの間で長年にわたる交渉が続いています。

まとめ

「千島列島」「北方領土」は、地理的な位置だけでなく、国際政治や歴史の文脈においても異なる意味合いを持ちます。

「千島列島」は、広義の日本列島の一部としての地理的な概念であり、「北方領土」は、日本の固有の領土としての歴史的、政治的な主張に基づく概念だと言えるでしょう。