「他山の石」と「対岸の火事 」の違いとは?分かりやすく解釈

「他山の石」と「対岸の火事 」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「他山の石」「対岸の火事」の違いを分かりやすく説明していきます。

2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。

「他山の石」とは?

「他山の石」とは?

「他山の石」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「他山の石」は、「たざんのいし」と読みます。

「他山の石」は、「よその山から出た、つまらない石のこと。

転じて、自分の修養の助けとなる、他人の誤った言行」
という意味があります。

誰かの誤った言行も、反面教師にすることができます。

自分はこうしないようにしようとすることで、自分の人生の成功に役立てることができます。

例えば、飲食店を経営している人がいる時、他の店が大きな失敗をしてしまうのを見るかもしれません。

その失敗を参考に、自分は同じことを繰り返さないようにすれば、飲食店経営に役立てることができます。

このような場面では、「他店の経営の失敗を他山の石としよう」などという文章を作ることができます。

また、自分が失敗ばかりの人生だと思う時、子供が自分の失敗を参考にして、成功してほしいと願うかもしれません。

この場合は、「私の人生を他山の石とし、子供には成功してもらいたい」などという文章にできます。

「対岸の火事」とは?

「対岸の火事」とは?

「対岸の火事」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「対岸の火事」「たいがんのかじ」と読みます。

「対岸の火事」は、「向こう岸の火事は、自分に災いをもたらすことがないという意味から、自分には関係なく、まるで苦痛がないこと」という意味があります。

川を挟んだ向こう岸で大きな火事が起こっても、こちら側に火事が移ることがないように、まるで苦痛がないことを「対岸の家事」と呼びます。

例えば、芸能人の不倫騒動をテレビで見た時、独身で、一般人の身としては、自分には関係なく、まるで苦痛がない出来事だと感じるかもしれません。

この場合は、「芸能人の不倫など、独身の一般人には、対岸の火事に過ぎない」などという文章を作ることができます。

「他山の石」と「対岸の火事」の違い

「他山の石」と「対岸の火事」の違い

「他山の石」「対岸の火事」の違いを、分かりやすく解説します。

「他山の石」「自分の修養の助けとなる、他人の誤った言行」という意味があります。

一方「対岸の火事」には、「自分には関係なく、まるで苦痛がないこと」という意味があります。

どちらも、自分の身に起きていないことという共通点があります。

ただし、他人の災難を見た時、または、他人の失敗を見た時、「教訓にしよう」と思う場合は、「他山の石」という言葉を使うことができます。

一方で、「自分には関係なく苦痛もない」と感じた場合は、「対岸の火事」を使うことができるという違いがあります。

まとめ

まとめ

「他山の石」「対岸の火事」の違いについて見てきました。

2つの言葉には明確な意味の違いがありました。

2つの言葉の意味の違いを知ることで、きちんと使い分けることができるようになりそうです。