この記事では、「山形鋳物」と「南部鉄器」の違いを分かりやすく説明していきます。
「山形鋳物」とは?
山形鋳物とは、やまがたいものという読み方をすべき言葉です。
漢字で書かれたこの言葉を見れば理解出来る事でしょうが、東北地方の南西部に位置する地域や県といった意味の山形に、金属を溶かした上で、鋳型に流し込んで作る器物といった意味がある鋳物の漢字を付け足す事により成立した言葉となっています。
だからこそ山形鋳物は、山形県山形市やその周辺地域に伝わる鋳物で、日本の伝統的工芸品を表すのです。
「山形鋳物」の使い方
山形鋳物は、山形市周辺に古くから伝わる鋳物に対して使われる言葉となっています。
その歴史は非常に古く、平安時代の中期に山形で起こった乱を鎮めるべく、源頼義がこの地域を訪れた際に従軍していた鋳物職人が、この地域の土質が鋳物に非常に適している事を発見したのです。
そのため鋳物職人が幾人かこの地に残って鋳物を作り始めたのが、この山形鋳物の始まりと言われています。
そうして質の高い鋳物が次々に誕生した事で、この地域の名前を使って山形鋳物という言葉が使用され呼ばれる様になったのです。
「南部鉄器」とは?
南部鉄器とは、なんぶてっきという読み方をする言葉となっています。
文字で記されたこの言葉を目にすれば一目瞭然な事ですが、かつて南部氏が支配していた岩手県の中部と北部、青森県の東部辺りの地域の呼び名や南の方といった意味を持っている南部の文字に、鉄製の器具や道具といった意味を有する鉄器の文字を加える事により完成した言葉です。
以上の事から南部鉄器は、岩手県の盛岡市と奥州市で作られる鉄器を示します。
「南部鉄器」の使い方
南部鉄器は、岩手県南部鉄器協同組合連合会に加盟している業者により作られる鉄器の呼び名として用いられているのです。
現在では南部鉄器と総称されていますが、元々は水沢の南部鉄器と盛岡の南部鉄器という形で2つに分ける事が出来ます。
水沢の南部鉄器の歴史は非常に古く、平安後期には既に作り始められているのです。
盛岡の南部鉄器は、17世紀頃に南部藩の藩主が茶の湯釜を作らせたのが始まりと言われています。
なので南部鉄器の歴史を振り返る際には、水沢と盛岡で分ける形でこの言葉が使用される事もあるのです。
「山形鋳物」と「南部鉄器」の違い
2つの言葉の文字表記を並べて見比べてみれば、使用されている漢字は全然違う言葉同士である事に気付く事が出来ます。
ただしどちらも、東北地方の伝統的工芸品を表す言葉である点が、ややこしい所です。
とはいえそれぞれの言葉が持つ意味を理解すれば、使い分けに迷う事もありません。
まず山形鋳物は、文字通り山形市やその周辺地域で作れている鋳物を表現する言葉です。
一方の南部鉄器は、盛岡市と奥州市で作られている鉄器を示します。
まとめ
2つの言葉に共通する文字はありませんが、どちらも東北地方の伝統的工芸品を示す言葉であるという共通項があるのです。
ただし明確に意味の違いがあるので、そこを踏まえればすんなり使い分ける事が出来ます。
ちなみに山形鋳物は、山形市やその周辺地域で作り出されている鋳物であり、日本の伝統的工芸品です。
対する南部鉄器は、かつて南部氏が支配していた盛岡市と奥州市といった地域で作り出される鉄器に対して用いられる言葉となっています。