「内弁慶」と「人見知り」は双方とも人に対して使用される言葉ですが、細かな意味合いが異なるため注意が必要です。
この記事では、「内弁慶」と「人見知り」の違いを分かりやすく説明していきます。
「内弁慶」とは?
「内弁慶」は「うちべんけい」と読む言葉で、「家の中では横柄で威張り散らすが、家の外では気弱で意気地がないこと」またはそのような人物を意味します。
「内弁慶」の「弁慶」は鎌倉時代の僧侶「武蔵坊弁慶」のことで、豪傑かつ荒々しい人物を代表する存在として有名です。
「人見知り」とは?
「ひとみしり」と読む「人見知り」は、「子どもなどが、見知らぬ人を見て恥ずかしがったり怖がったりすること」を意味します。
「人見知り」の語源としては、「人」と「見知る」を組み合わせて「人を覚える」と示す説と、「人見」と「知る」を組み合わせて「人の目を気にする」と表す説があります。
なお、最近は子どもだけでなく大人にも使用されることが多く、特に「初対面の人と話すのが苦手」「馴染みのない人とコミュニケーションを取ることが得意でない」「引っ込み思案」といった人に対して用いられています。
「内弁慶」と「人見知り」の違い
「内弁慶」も「人見知り」も「家の外や家族以外など、知らない人に弱気な態度、消極的な態度を取る」といった意味を含む点は共通していますが、以下のような違いがあります。
「内弁慶」は「家の外では小心者で意気地がないが、家の中では威張り散らすなど横柄な態度を取る」ことを意味します。
一方、「人見知り」は「見知らぬ人を恥ずかしがったり怖がったりすること」を意味しますが、家族や身内に対して一概に横柄な態度を取るとは限らないニュアンスがあります。
家族や馴染み深い人に対しては恥ずかしさなどが消えて「陽気に振舞う」場合があるかもしれませんが、無礼で無遠慮というほどの態度ではないケースもあります。
まとめ
「内弁慶」は「家の中では横柄で威張り散らす態度をとるが、家の外では気弱で意気地がないこと」を示し、「人見知り」は「子どもなどが見知らぬ人を見て恥ずかしがったり怖がったりすること」を示します。
「家族や身内への態度」に両者の意味合いの違いがあるといえるでしょう。
ぜひ言葉の違いを学ぶ参考にしてください。