「大奥」と「後宮」の違いを分かりやすく解釈

この記事では、「大奥」「後宮」の違いを分かりやすく説明していきます。

「大奥」とは?

「大奥(おおおく)」とは、「江戸時代の江戸城内にあった徳川将軍家のプライベートな生活の場」「徳川将軍(征夷大将軍)の子女・御台所(正室)・側室・奥女中らが暮らしていた男子禁制の奥向きの場」を意味している言葉です。

「大奥」は3代将軍である徳川家光の乳母だった春日局が中心になって整備したとされ、「江戸城の本丸・西丸・二丸」にそれぞれ「大奥」が存在していて、多い時代には約3,000人の女性が暮らしていました。

「後宮」とは?

「後宮(こうきゅう)」とは、「皇帝・国王などの最高権力者が正室・側室・子女などの女性を生活させている男子禁制の奥向きの宮殿」を意味している言葉です。

「後宮」は、「皇帝・国王が家族・女性と暮らすプライベートな生活空間」であると同時に、「最高権力者が自らの血統を継ぐ子孫を確実に残すために大勢の女性を集めた場」でもあるため、基本的に「男子禁制の場所」でした。

中国王朝・トルコ王朝などの「後宮」に男性が仕える場合は、正室・側室・使用人の女性との間に密通が起こることがないように去勢された「宦官(かんがん)」が配置されることが多かったのです。

「大奥」と「後宮」の違い!

「大奥」「後宮」の違いを、分かりやすく解説します。

「大奥」「後宮」「皇帝・国王・征夷大将軍といった最高権力者の正室・側室・子女などが居住している男子禁制のプライベート空間」という意味では共通していますが、徳川将軍家が設置した江戸時代の「大奥」「広義の後宮の一種」になります。

「大奥」というのは、「江戸城内に存在していた徳川将軍家のプライベートな生活の場で、将軍の子女・正室・側室・奥女中らが暮らしていた後宮の一種」を意味しています。

「後宮」とは「皇帝・国王などの最高権力者が正室・側室・家族(女性や子供)を住まわせた男子禁制の特別な宮殿」を意味している言葉で、「大奥」という徳川将軍家が正室・側室などの女性を居住させた場所も「後宮」の一種なのです。

ただし、中国やトルコなどの王朝の「後宮」には去勢手術をされた「宦官」がいましたが、日本の「大奥」には宦官がいない違いはあります。

まとめ

「大奥」「後宮」の違いを説明しましたが、いかがだったでしょうか?

「大奥」とは「江戸時代の江戸城にあった将軍家の子女・正室・奥女中たちが住んでいた男子禁制の場所」を意味していて、「後宮」「皇帝・王の皇后・妃などの女性が住んでいる宮中の奥にある男子禁制の場所」を意味しているという違いがあります。

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