この記事では、「豚に真珠」と「猫に小判」の違いを分かりやすく説明していきます。
「豚に真珠」とは?
貴重なものも価値がわからないものにとっては意味がない、というたとえです。
新約聖書「マタイ伝」第7章に出てくる言葉です。
真珠はアコヤガイという貝の体の中で作られています。
貝は自らの体を貝殻で包み込んでいます。
貝殻を作っているのが、外套膜という部分です。
貝の中に異物が入り込むと、外套膜が傷つき、異物が中に取り込まれることがあります。
そして、膜が異物を包み込み、貝殻を作るのと同じ成分がにじみ出て、異物の周りに貝殻と同じ成分ができはじめます。
これが成長をすると真珠になります。
生物が作り出すもので、形が整ったものを大量に人間が作り出すことは難しいです。
そのため、真珠は貴重なものとされています。
人間にとっては貴重なものですが、豚にはその価値がわかりません。
真珠は食べものではないし、豚が自らを飾ることはないし、持っていても役に立たないものです。
そのため、豚にとっては価値がないのです。
役に立たないもの、価値がないものを持っていても意味がありません。
人間にとって貴重な真珠でも、価値がわからないものにとっては意味のないものになります。
そのことをたとえた言葉です。
「豚に真珠」の使い方
ことわざとして使用します。
豚は醜く、真珠は美しいといった意味で使用するのではありません。
非常に高価なものでも、その価値がわからないものにとっては無意味であるというたとえです。
「猫に小判」とは?
価値のあるものを与えても、本人にはその物が持っている価値がわからない、というたとえです。
小判は江戸時代に使われていた金貨です。
これと品物を交換して、欲しいものを手に入れていました。
人間にとって小判は価値あるものです。
小判があるからこそ、欲しいものを手に入れることができ、生活をすることができます。
しかし、猫は小判がなくても食べものを得ることができるし、寝る場所も確保できて、困ることはありません。
猫にとって小判は価値あるものではないのです。
猫にとって必要なものではなく、与えてもその価値はわかってもらえません。
どんなに値打ちがあるものでも、本人に与えてもわからないことを、この言葉はたとえています。
「猫に小判」の使い方
ことわざとして使用します。
猫が小判を抱えた置物が商店などに飾られており、金銭を招くもののように思えますが、そうではありません。
この言葉は、猫が小判を招いてくれるという意味なのではなく、貴重なものでも本人には価値がわからないことを指しています。
「豚に真珠」と「猫に小判」の違い
どちらの言葉も同じようなことを指しています。
価値あるものでも、そのものの価値がわからないものにとっては意味がない、というたとえです。
まとめ
どちらの言葉も同じような意味を持っています。
たとえとして使われることわざです。