「恥を捨てて」と「恥を忍んで」の違いとは?分かりやすく解釈

「恥を捨てて」と「恥を忍んで」の違い言葉・カタカナ語・言語

恥ずかしい気持ちに関連する表現として「恥を捨てて」「恥を忍んで」があります。

このふたつの表現にはどのような違いがあるのでしょうか。

今回は、「恥を捨てて」「恥を忍んで」の違いについて解説します。

「恥を捨てて」とは?

「恥を捨てて」とは?

「恥を捨てて」とは、「恥ずかしいという気持ちを捨て去り開き直ること」を意味する言葉です。

プライドの高さから他人の前に出たくないと思うような感情のことを「恥ずかしい」といいます。

「恥を捨てて」とは「恥ずかしいという感情を心のなかから消し去って開き直り思い切ってやること」を指します。

他人の目線や評価が気になるのが恥の感情ですが「恥を捨てて」というのはそのような周囲の視線や思惑ではなく自分自身の中に存在する恥の感情に対して使われる言葉です。

恥ずかしさを感じると萎縮してしまったり気後れして動けなくなったりする自分自身と向き合い「行動を阻害する原因となる恥の感情を一時的にでも心のなかから消去して大胆な行動をとること」「恥を捨てて」の意味合いです。

恥の感情は人の行動に大きな影響を与えます。

恥じる気持ちによって人前でふさわしいふるまいをしたり節度ある言動を心がけたりなどいい影響もたくさんありますが、恥ずかしさのせいで折角のチャンスを不意にしたりやるべきことをやれなかったりなどマイナスの影響も見られます。

「恥を捨てて」とはそのようなマイナスの影響を払拭する際に用いられる表現です。

一般的には恥ずかしさのデメリットが捨てるメリットよりも小さい時に使われる表現です。

恥ずかしさとそれを捨てたときに得られるメリットを天秤にかけメリットを選択したときに「恥を捨てて」行動を起こします。

「恥を捨てて」の使い方

・『恥を捨てて後輩に頭を下げる』
・『窮地を救ってもらうために恥を捨ててお願いする』
・『チャンスをつかむために恥を捨てて思い切って挑戦する』
・『生きていくために恥を捨てて汚れ仕事に就く』

「恥を忍んで」とは?

「恥を忍んで」とは、「恥ずかしさに耐えて」という意味の言葉です。

「恥を忍んで」「忍んで」には「辛さに耐えて」という意味があります。

「恥を忍んで」とは恥ずかしいという感情の辛さは認めつつもぐっとこらえて何かをするときに用いられる表現です。

「恥を忍んで」は周囲に辛さや苦しさを気取られないようにする様子を表します。

大きな声で恥ずかしいと騒ぎ立てるような事はせず表面上は何ともない風を装っていながら心のなかは恥ずかしい気持ちでいっぱいになっている状態が「恥を忍んで」です。

恥ずかしさに耐えるのは一時的なことで目的が達成されたら再び元通りの状態に戻ります。

「恥を忍んで」の使い方

・『一度は飛び出した会社に恥を忍んで再雇用をお願いする』
・『恥を忍んで傘下に入れてもらう』
・『恥を忍んで苦しい実情を打ち明ける』
・『会社立て直しのために恥を忍んで借金を申し込む』

「恥を捨てて」と「恥を忍んで」の違い

「恥を捨てて」と「恥を忍んで」の違い

「恥を捨てて」「恥を忍んで」の違いは「恥ずかしい気持ちの扱い」です。

「恥を捨てて」は恥ずかしい気持ちそのものを心のなかから追い出すことを意味しますが「恥を忍んで」は心のなかにそのままありつつも抑えて表面化しないように耐えている様子を表します。

思い切って開き直るのが「恥を捨てて」、我慢してやり過ごすのが「恥を忍んで」という違いで区別されます。

まとめ

まとめ

「恥を捨てて」「恥を忍んで」はどちらも恥ずかしさを超えて何かをするときに使われる表現ですが当人の心の持ちように大きな違いが見られます。

どんな気持ちで恥ずかしさを超えたのかに注目して区別しましょう。