「怠い」と「気怠い」の違いとは?分かりやすく解釈

「怠い」と「気怠い」の違い二語の違い

この記事では、「怠い」「気怠い」の違いを分かりやすく説明していきます。

2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。

「怠い」とは?

「怠い」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「怠い」は、「だるい」と読みます。

「怠い」は、「疲れや病気などで、体を動かすのが億劫なこと」という意味があります。

例えば、風邪をひいて熱が出ると、高熱によって、体を動かすのが億劫になるのではないでしょうか。

この場合は、「熱が出たため、体が怠い」などという文章にできます。

また、プールで遊んだ後の子供は、体を動かすのが億劫になり、眠りにつきやすいという傾向があります。

このような場合は、「プールに入ると子供は怠くなり、すぐに眠るので、あえて親がプール遊びを進めることがある」などという文章を作ることができます。

さらあに、仕事を長時間続けていると、徐々に、疲れが溜まって、体を動かすのが億劫になってきます。

このような場合は、「仕事を頑張りすぎて、体が怠くなってきた」などという文章を作ることができます。

「気怠い」とは?

「気怠い」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「気怠い」「けだるい」と読みます。

「気怠い」は、「何となく怠い」という意味があります。

例えば、朝起きた時、元気いっぱいになっておらず、まだ何となく怠いと感じられる場合があります。

このような場合は、「たっぷり寝て朝を迎えたのに、気怠い感じが残っている」などという文章を作ることができます。

また、会社で机に向かったものの、訳もなく怠いと感じるような場合があります。

このような場面では、「仕事をしなければならないのに、気怠いためぼーっとしてしまう」などという文章にできます。

さらに、授業中の生徒の様子を見たときに、覇気がなく、何となく怠そうに見えるような場面があります。

このような場合は、「授業中だというのに、生徒が気怠そうにしている」などという文章を作ることができます。

「怠い」と「気怠い」の違い

「怠い」「気怠い」の違いを、分かりやすく解説します。

「怠い」は、「疲れや病気などで、体を動かすのが億劫なこと」という意味があります。

「気怠い」は、「何となく怠い」という意味があります。

このように「怠い」にも「気怠い」にも、「億劫な様子」という共通点があります。

ただし、「怠い」という場合は、疲れや病気など、体を動かすのが億劫な理由がハッキリしているのに対して、「気怠い」という場合は「何となく」体を動かすのが億劫な感じがするという違いがあります。

そのため、明らかに体を動かすのが億劫で、その理由もハッキリしている場合は「怠い」を使い、なぜか、体を動かすのが億劫な気がする場合は、「気怠い」という言葉を使ってみましょう。

まとめ

「怠い」「気怠い」の違いについて見てきました。

2つの言葉には明確な意味の違いがありました。

2つの言葉の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。