この記事では、「方法論的個人主義」と「方法論的集団主義」の違いを分かりやすく説明していきます。
「方法論的個人主義」とは?
「方法論的個人主義」は、社会現象を把握する場合着目すべきは個人であると定めたことです。
よって社会というものに対して個人がどのように行動すれば最終的に社会はどう変化したかを考えだすのが、「方法論的個人主義」になります。
例を挙げますと一人の人間が石油がなくなるといえば、ほかの人物も実は同じことを考えていたのが 「方法論的個人主義」になります。
なので、「方法論的個人主義」は、初めから社会は個人の考えでそうあると結論付けることです。
「方法論的集団主義」とは?
「方法論的集団主義」は、社会という組織は、集団によって成り立ち、集団がそうだといえば変わらないという構造のことです。
例を挙げますと戦争を反対するものと反対しないものがいた場合、反対しないもののほうが多い場合、戦争を反対するものは抹殺され、集団の考えでは戦争を容認する側が正しいという理屈になるのが、「方法論的集団主義」です。
「方法論的個人主義」と「方法論的集団主義」の違い
両者の違いは、総意であるか否かだと考えるとわかりやすいです。
たとえば、戦争を容認するのは当たり前だと多くの人が個人で思えば、「方法論的個人主義」が成立し、皆が同じ価値観だと言えます。
一方で、「方法論的集団主義」は、実は自分は反対なんだけど反対した場合、集団から何を言われるかわからないという世間体を気にするのが、「方法論的集団主義」です。
よって、両者は世間体を気にするかどうかと考えてもよいでしょう。
「方法論的個人主義」の例文
・『方法論的個人主義は周囲が総意でないと不成立だ』
この例は、「方法論的個人主義」という考えは、実は皆さんが同じ考えでそうだとならないと無理だというもので昔の選挙は満場一致でないといけないので形だけは「方法論的個人主義」でした。
「方法論的集団主義の例文
・『方法論的集団主義は、強制という形が成立する』
この例は、「方法論的集団主義」の在り方は、実は強制によって成立し、嫌だと言わせない環境を作れば、嫌なことでも容認するというものです。
これは現在社会においては、嫌だといえば首にするというような形で逃げ道を塞いで物事を進めるやり方と同じになります。
まとめ
「方法論的個人主義」と「方法論的集団主義」であろうと、要はこの両者の考え方は人間が最終的に行き着く手法のことで、片方は、選挙などにおいては皆さんが同じ考えですという意味になり満場一致でないと成立しませんよというものです。
一方で、「方法論的集団主義」は、選挙という方法においても満場一致であることは作り出すことができると考え、集団というものをコントロールすれば結果が変わってしまうと考えます。
なので、両方の考えに至るのは、極論を言えば、「方法論的個人主義」の考えが気に入らない場合、皆を力づくで合意にすりゃいいじゃないかと考え、「方法論的集団主義」が作り出されたというわけです。