この記事では、「気付く」と「認識する」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「気付く」とは?
苦しむ人を見て、その状態に目を向けて何が起きているか認識することを「気付く」【きづく】といいます。
例えば、お腹が痛いとうずくまる人を見て大丈夫かと声を掛けたり、病院に連れて行ってあげるのです。
また、職場の気温が低すぎるときは温度を高くするという行為を指します。
このように危険な状況であったり、変わったところがあればいち早く察知して改善するのです。
「認識する」とは?
何がどのように異常をきたす状況であるか自らが把握することを「認識する」【にんしきする】といいます。
また、上司から注意された部分を確かめて注意された部分を見直したり、書き直す行為を指すのです。
使い方としては、「重要な部分にしぼって認識する」と伝えます。
このように、物事の内容をしっかり奥深くまで目を向けて意義を弁別するのです。
「気付く」と「認識する」の違い
ここでは「気付く」と「認識する」の違いを、分かりやすく解説します。
その状態が今どのようになっているか察知することを「気付く」といいます。
機械から異音がしているとか、仕事が終わらず困っている様子に目が行き、悪い状況に陥っていることを自らが認識して改善すべく動くのです。
もう一方の「認識する」は重要性や不法性といったものを把握して、どのような点が問題になっているか受け入れてはどうすれば解決できるかを考えます。
「気付く」は自らが悪化する状況に気が向く行動を指しますが、「認識する」は意識を向けて状況を認めるといった意味が違うところです。
「気付く」の例文
・『壁に亀裂が入り、雨漏りして木が弱っている状況に気付く』
・『気付くのがあと少し遅ければ大型車の後輪に巻き込まれていた』
「認識する」の例文
・『物価があがり続ければ国民の生活が危うくなると認識する』
・『予算をかけて橋を架ける重要性を人々は改めて認識する』
まとめ
何が今まさに起きているか自分が確かめるという意味で使われていますが、使い方に違いが見られます。
どのような点が異なるか調べて使い分けてみるといいでしょう。