この記事では、「見ることができる」と「見える」の違いを分かりやすく説明していきます。
「見ることができる」とは?
「見る」という動詞の可能形を意味する言葉です。
つまり、見ることが可能であるという意味をもちます。
この表現は、主に自分の意志や努力によって見ることが可能である場合に使用します。
「見える」とは?
目に映る、目でチェックできるなどのような意味をもつ言葉です。
「見える」という言葉は、基本的に自分の意志や努力に関係なく、対象が目に入ってくる状態を表現すると言えます。
また、「見える」は、判断される、見受けられるなどのような意味もあります。
この場合は、見ることが可能だという事実ではなく、見る人の感じ方や印象を表現すると言えるでしょう。
「見ることができる」と「見える」の違い
「見ることができる」と「見える」の違いを、分かりやすく解説します。
「見ることができる」と「見える」は、共に、何かを目にすることが可能であるという意味の言葉ですが、使用されるケースやニュアンスに違いがあります。
「見ることができる」は、自分の意志や努力によって、見たいものを見るということを表現する際に使用する言葉です。
条件や状況が整っていることを前提としています。
その一方で、「見える」は、自分の意志とは関係なく、自然に目に入ってくるということを表現する際に使用する言葉です。
対象の存在や性質が重要だと言えるでしょう。
「見ることができる」の例文
・『この美術館では、さまざまなアーティストの作品を見ることができる』
・『見ることができる作品は沢山ありますよ』
「見える」の例文
・『彼は未来が見えるという虚言を吐き続けている』
・『窓から見える雪景色は、とても美しかった』
まとめ
「見ることができる」と「見える」は、日本語の可能表現の一種ですが、意味や使い方に違いがあります。
「見ることができる」は、「見る」という動作を実行することが可能であることを表現する言葉です。
自分の意志や努力によって、何かを見ようとする場合に使用します。
その一方で、「見える」は、自分の意志に関係なく、何かが自然に視界に入ってくることを表現する言葉です。
見る対象の性質や状況によって、何かが目に映る場合に使用すると言えるでしょう。