「伺う」と「窺う」の違いとは?分かりやすく解釈

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「伺う」と「窺う」の違い 言葉・カタカナ語・言語
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この記事では、「伺う」「窺う」の違いを分かりやすく説明していきます。

「伺う」とは?

「伺う」とは動詞で、意味は「聞く」「尋ねる」の謙譲語となります。

自分より目上の人に対して使う言い方となります。

また神や仏のお告げを求めること、「訪問する」ことの謙譲語という意味合いもあります。

どの意味なのかは前後にある言葉で判断するようにしましょう。

「あの、伺いたいことがあるのですが…」「こんなこと伺うのは失礼なのですが…」「今度、お宅に伺ってもいいかしら」などと使います。

「窺う」とは?

「窺う」とは動詞で、意味は相手に気づかれないように物陰、隙間から様子を見る、相手の反応を気にする、様子を見る、チャンスが来るのを待つなど複数の意味合いがあります。

意味合いからあまりいい言葉とは言えませんが、日常生活で「窺う」という場面は多くあることです。

「家の中を窺うなんて、ストーカーじゃないか」「親の顔色を窺うような子」「油断するな、チャンスを窺う奴はいくらでもいる」などと使います。

「伺う」と「窺う」の違い!

「伺う」「窺う」の違いを、分かりやすく解説します。

この二つの言葉は読み方は「うかがう」で同じです。

話し言葉においては問題ありませんが、文章にする時は正しい漢字を使うようにしませんと、意味が違っておかしなことになってしまいます。

まず「伺う」ですが、これは「聞く」「尋ねる」「訪問する」の謙譲語となります。

自分より目上の人に対して使うと覚えておくようにしましょう。

一方で「窺う」ですが、これは「覗いてみる」「そっと様子を見る」「機会を狙う」といった意味合いの時に使います。

「今度、お宅に窺います」などと書きますと、失礼な意味になるとわかるかと思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「伺う」「窺う」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。

読み方は同じですが、意味合いは違います。

言葉の意味を正しく理解して正しい漢字を当てるようにしてください。