「索漠」と「殺伐」の違いとは?分かりやすく解釈

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「索漠」と「殺伐」の違い 言葉・カタカナ語・言語
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この記事では、「索漠」「殺伐」の違いを分かりやすく説明していきます。

「索漠」とは?

「索漠」とは「さくばく」と読みます。

意味は心を慰める、癒すようなものがなく寂しい様子を言います。

同じ意味として「荒涼」という言葉もあります。

使い方としては「家具もほとんどなく、索漠とした部屋に彼女は一人住んでいた」「あの男の話を聞いていると、こっちまで索漠とした気持ちになる」「不機嫌で人を妬んでばかりいる彼女は、索漠とした人生なのだろうと思った」などと使います。

「殺伐」とは?

「殺伐」とは「さつばつ」と読みます。

意味は、穏やかではなく、あたたかみが感じられない様子、刺々しい様子を表す言葉です。

また別の意味として人を殺すこと、荒々しくてむごい様子といった意味もあります。

「あんな殺伐とした職場、二度と戻りたくない」「家庭が殺伐としているのはモラハラ夫のせいだ」「殺伐とした雰囲気なのは見ればわかる、そんな飲食的には食べに行きたくない」などと使います。

「索漠」と「殺伐」の違い!

「索漠」「殺伐」の違いを、分かりやすく解説します。

二つの言葉は心が落ち着かないような状況を表す言葉としては共通しています。

しかし、意味合いはまったく違う言葉ですので、使う時に間違えないように気をつけてください。

まず「索漠」ですが、こちらは心を慰めるようなものがない、寂しい様子を表す言葉です。

部屋、場の様子であったり、心模様など、様々なことに使えます。

「何だか索漠とした公園」「索漠とした気持ちになる」「索漠とした台所」などと言います。

一方で「殺伐」ですが、こちらは穏やかさ、あたたかみというものがなく、刺々しい様子を表す言葉です。

「彼らは切羽詰まっているので殺伐としている」「殺伐とした部内」などと言います。

使い分けは「索漠は寂しい」「殺伐は刺々しい」と覚えておきますとわかりやすくなります。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「索漠」「殺伐」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。

まったく意味合いが違う言葉ですので正しく理解して使い分けをしてください。