「肝要」と「肝心」の2つの言葉は、どのような違いがあるのでしょうか。
「肝要」の意味や使い方
「肝要」は、「かんよう」と読みます。
その物や仕組み、事柄において「一番大事な部分」を指して使う言葉で、「このシステムで肝要な存在のサーバーがダウンしてしまった」などと用います。
それなくしてその存在は成り立たないほど大事な部分を指して使うと考えていいでしょう。
広い対象に使える言葉で、「この文章で肝要な部分は~」のような使い方をすると、それが一番表したいことだという意味になります。
「そこが肝要だ」のように使うことも多く、短くした形で「キモ」と表現される場合もあります。
「肝心」の意味や使い方
この「肝心」は、「かんじん」と読む言葉です。
こちらもとても大事な部分を指して使いますが、他の部分と比較して大事だと考える対象に用いる表現となっており、「肝要」ほど広い視野から見て使う訳ではないという点が異なります。
例えば、発電装置において、電気の出力先となる部分は「肝心」だと(そこがしっかりしていないと外部に送電できません)言えますが、「肝要」なのは電気自体の発生に必要なタービンなどの発電部分です。
その対象の全体を見た時に、一番大切なのが「肝要」な部分で、他の他所より比較的大事なのがこの「肝心」という言葉で表されます。
「肝要」と「肝心」の違い
「肝要」という言葉は、「肝心要」(かんじんかなめ)が略されたものだと考えていいでしょう。
そのまま「そこが肝心要だ」のように使われることもあり、「肝心であり、要でもある」という語源のある言葉です。
「要」はその中心という解釈で使える言葉で、肝心な部分の中でも一番重要な部分こそ「肝心」と表現されます。
これらの言葉の違いはこのように覚えてください。
「肝要」を使った例文と意味を解釈
「肝要」を使った例文と、その意味の解釈です。
全体の中で一番大事だと思う部分に対して使う言葉です。
「肝要」を使った例文1
「キリスト教では、自己犠牲の精神が肝要とされている」
キリスト教では、主たるイエス・キリストが人間が抱えた罪の救済の為に犠牲になったように、自己犠牲の精神が教えの中枢とされています。
ただし、信仰者であっても、決して強要されるものではありません。
「肝心」を使った例文と意味を解釈
「肝心」を使った例文と、その意味の解釈です。
その対象が他より大切だと思えば使うことができます。
「肝心」を使った例文1
「そこが肝心なのは分かるが、他の部分も全体的に見直してくれ」
肝心と思う部分のチェックだけでなく、全体のチェックも怠らないようにと言っている例です。
他より大切なのは分かるものの、そこだけしか気にしないのではいけないと伝えています。
まとめ
「肝心」な部分の中でも一番重要な部分が「肝要」だと考えてください。
それが1つしかない場合には、「肝要」と使って構いません。