普段の日常生活でも使うことがある「壮観」と「圧巻」、どちらもなにかものすごいものを見たときなどに使う言葉です。
ですが、このふたつの言葉の意味の違いを知っているという方はあまりいないのではないでしょうか。
それではこの記事では、「壮観」と「圧巻」の意味の違いについて分かりやすく説明していきたいと思います。
「壮観」とは?
「壮観」とは、規模が大きくて素晴らしいということをあらわしています。
主に景色や風景に対して使い、その規模の大きさに感動したときに使います。
また「壮観」は感動したときに使いますが、「見た目」以外に使うことはできません。
たとえば、食べた料理の味が素晴らしく美味しかったときやオーケストラの素晴らしい演奏などに感動したときは、「壮観」は使えないのです。
「圧巻」とは?
「圧巻」とは、優れたものや、ある作品の優れている部分について使う言葉であり、曲や物語や劇の素晴らしさをあらわしています。
そういった芸術や創作において、作り手の才能が発揮されとくに目立つ素晴らしさがある部分に対して使われます。
その曲やその本などの、とくに素晴らしい部分に対して使い、「圧巻の?」や「圧巻だった」などといった使い方をします。
また、目で見たものというよりは、何かのとくに優れている部分に素晴らしさを体感したときに使われる言葉です。
「壮観」と「圧巻」の違いについて
「壮観」と「圧巻」は、似たような意味ですが案外違った意味を持つ言葉だと思います。
ではどのような点が大きく違っているのかを、分かりやすく説明していきたいと思います。
まず「壮観」は、景色や風景、主に山や海や建造物といったものの規模の大きさに素晴らしさを感じて使われる言葉です。
対する「圧巻」は、楽曲や物語や劇などに使われ、その作品の中のとくに優れている部分を体感したときに感動して使われる言葉なのです。
つまり、場面によっての使い分けがいちばん大きな違いと言えるでしょう。
また、「壮観」の全体の規模か、「圧巻」の何かの中の優れた部分か、そういった部分も違いのひとつです。
「壮観」を使った例文を2つ紹介
・『以前、旅行で万里の長城を見に行ったのだが、あれは今まで見た何よりも壮観だった。』
・『北海道の雪原は常に氷点下はあたりまえで、しょっちゅう吹雪いているとても過酷な環境だったが、晴れた日の雪原の美しさと言ったら、壮観としか言いようがない。』
「圧巻」を使った例文を2つ紹介
・『初めてオーケストラの演奏を聞きに来てみたのだが、とにかく眠くなってしまった。
しかし頑張って眠らないようにうとうとしながら聞いていると、だんだんと曲は盛り上がりを見せ、最後には眠気も忘れて聞き入るほど圧巻の演奏だった。』
・『この映画は何度観ても圧巻のクライマックスに驚かされてしまう。』
「壮観」と「圧巻」の違いのまとめ
いかがでしたでしょうか。
このふたつの言葉は、「壮観」は景色や風景などに感動したとき、「圧巻」は曲や物語などのとくに優れた部分などに感動したとき、と使い分けが重要な言葉でした。
せっかくの感動を伝えられる場面で間違って使ってしまわないよう、十分注意ししっかりと覚えておきたい言葉です。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございます。