この記事では、「苦行」と「修行」の違いを分かりやすく説明していきます。
「苦行」とは?
「苦行」には2つの意味があります。
ひとつは、つらいことを行うことです。
つらいとは、我慢できないような苦しさを意味します。
どのようなものをつらいと感じるのかは人それぞれなので、「苦行」が意味する行いは人それぞれ異なります。
ピーマンが大っ嫌いな子供がいたとします。
ピーマンのにおいを嗅ぐのも嫌、見るのも嫌というほど嫌いです。
しかし、この子の母親は好き嫌いをするのはよくないと考えており、ピーマンを何としてでも食べさせようとします。
ある日、無限ピーマンが食卓にのぼりました。
ピーマン嫌いの子は食べたくありませんが、母親が許してくれません。
食べ終わるまで席を立ってはいけないといわれてしまいました。
大っ嫌いななものを無理して食べなければならず、これは非常につらいことです。
この人にとっては「苦行」でしょう。
もう一つの意味は、仏語で、苦しい行いをすることで穢れを取り除き、悟りに至ろうとすることです。
「千日回峰行」はこれにあたるといえるでしょう。
千日回峰行とは、険しい山の中を1日48km、1000日間歩き続けるものです。
年間で120日歩き、9年ほどかけて行います。
たとえ、病気になっても、雨風が強かろうと、やめることはできません。
命をかけて行うといわれているものです。
「苦行」の使い方
苦しさに耐えて何かを行うことを指して使用する言葉です。
何が苦しいのかは人によって異なるので、使われる場面はさまざまです。
「修行」とは?
「修行」には3つの意味があります。
1つめは、悟りを得ることを目指して努力することです。
宗派によって行う事柄は異なりますが、座禅、瞑想などはこれにあたります。
2つめは、托鉢・巡礼して歩くことです。
托鉢は僧侶が鉢を持って食物や金銭を受けてまわること、巡礼は聖地や霊場をまわることをいいます。
3つめは、学問や技芸の向上を目指して励むことです。
弓道は練習をしなければ上達しません。
自分はまだまだだと思って、練習を重ねることは「修行」といえます。
「修行」の使い方
何かを得たり身につけたりするために努力をすることを指して使用する言葉です。
「苦行」と「修行」の違い
悟りを得るための行為という意味が似ていますが、「苦行」は特に苦しいものをいいます。
座禅や瞑想などは耐えられないほど苦しいというものではないので、一般的には「苦行」ではなく「修行」といいます。
しかし、本人にとって非常につらいものであれば「苦行」といえます。
「苦行」の例文
・『苦行に耐える』
・『本来楽しかったものが苦行になっている』
・『毎日家族のために料理を作るのが苦行だ』
・『毎朝午前3時起きは苦行だ』
「修行」の例文
・『修行に励む』
・『修行の身』
・『修行が足りない』
・『山奥で修行をする』
まとめ
悟りを得るための行為という意味が似ていますが、特に苦しいものは「苦行」ということがあります。