「敵対心」と「敵愾心」の違いとは?分かりやすく解釈

「敵対心」と「敵愾心」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「敵対心」「敵愾心」の違いを分かりやすく説明していきます。

2つの言葉にはどのような違いがあるでしょうか。

「敵対心」とは?

「敵対心」とは?

「敵対心」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「敵対心」「てきたいしん」と読みます。

「敵対心」「相手を敵とみなして、対抗する気持ち。

敵としては向かう気持ち」
という意味があります。

例えば、クラスの友達同士がもめ事を起こしたとき、二派に分かれて、相手を敵だとみなすことがあります。

このような時、「同級生に敵対心を燃やす生徒」などと言い表すことができます。

また、誰かのことを敵とみなしている人がいる時、敵とみなしている人の悪口を言って、対抗する気持ちをあおることがあるかもしれません。

このような場合は「敵対心をあおる」などと言います。

また、クラス2位の秀才が、1位の生徒を敵とみなし、次の試験では絶対に勝とうとするとき、「1位の生徒に敵対心を持つ」などという文章を作ることができます。

「敵愾心」とは?

「敵愾心」とは?

「敵愾心」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「敵愾心」「てきがいしん」と読みます。

「敵愾心」「敵に対して抱く憤りや、争うとする意気込み」という意味があります。

誰かに対して敵意を向けている人が、その人に対して怒ったり、戦って勝とうとする意気込みを見せる時、「敵愾心」という言葉を使うことができます。

例えば会社に、大嫌いな同僚に打ち勝とうと燃えている人がいる時、「大嫌いな同僚に敵愾心を燃やす」という文章にすることができます。

また、紛争中などに、敵の映像を見ながら、激しい敵意を抱いた表情をしている人がいたとき、「敵愾心を感じられる表情をしている」などと言うことができます。

他にも、「敵愾心を感じる」「敵愾心に満ちている」などというフレーズを使うことができます。

「敵対心」と「敵愾心」の違い

「敵対心」と「敵愾心」の違い

「敵対心」「敵愾心」の違いを、分かりやすく解説します。

「敵対心」「相手を敵とみなして、対抗する気持ち。

敵としては向かう気持ち」
という意味があります。

一方で「敵愾心」「敵に対して抱く憤りや、争うとする意気込み」という意味があります。

「敵対心」は、「敵とみなす」のに対して、「敵愾心」「敵に対して憤りを持っている」ことを示唆います。

このように、「敵愾心」「敵対心」よりも、一歩進んだ状態であることが分かります。

例えば、同じ会社の同僚に対して、敵だと思った時は「同僚に敵対心を持つ」と言い表すことができ、さらにその状態が進み、憤りを持ち争おうとするとき、「同僚に敵愾心を持つ」と表現することができます。

「敵対心」「敵だと思う」のに対して、「敵愾心」「憤る」という違いがあることが分かります。

まとめ

まとめ

「敵対心」「敵愾心」の違いについて見てきました。

単に敵だと思うだけの場合は「敵対心」を使い、さらに憤り、争う気持ちがある場合は「敵愾心」という言葉を使ってみましょう。