「主」は「神」、どんな違いから使い分ける言葉なのかを説明していきます。
「主」と「神」の違い
「主」は、「しゅ」、もしくは「ぬし」と読む言葉で、前者と読む場合は主にキリスト教にて「神」のことを表す為の表現になり、後者はその事柄における管理者や重鎮といった意味になります。
「神」も、そのキリスト教における扱いとして使う言葉ですが、その他の宗教でも崇める対象をそのように表現することが多く、それらから転じた意味で、すごい、素晴らしいと感じた人に比喩的に使われることもあります。
その場合には、「これを1時間でやってしまうとは、あいつは神だな」のような用い方になると考えていいでしょう。
「主」を使った例文と意味を解釈
「主」を使った例文と、その意味の解釈になります。
その宗教における「神」をこのように表現するのは原則的にキリスト教だけです。
「日曜日は、主への祈りを捧げる大事な礼拝の日だ」
キリスト教では、日曜日に礼拝やミサが行われるのが通常です。
プロテスタントではこの礼拝と呼び、カトリックではミサと表現されますが、行われる内容はほぼ同じだと考えて構いません。
「神」を使った例文と意味を解釈
こちらは「神」を使った例文と、その意味の解釈になります。
世の中には色々な「神」が存在していると解釈されていますが、その中の日本の数々の神を祀っているのが神社です。
「困った時の神頼みとばかりに、神社へ行ってみたらしい」
神頼みと言えば、神社へのお参りですが、それだけで何かの事柄がいい方向に進むことになるほど甘いものでもないのは周知の通りだと言えるでしょう。
それでも人間は何かにすがりたいという時もあるものです。
まとめ
「主」はキリスト教における「神」の呼び方の1つ、または「持ち主」のように何かの管理者といった意味で使われる言葉で、「主」は色々な神々のこと、もしくは比喩として、そのような存在だと用いることもできる表現となっています。