この記事では、「取り越し苦労」と「杞憂」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「取り越し苦労」とは?
「取り越し苦労」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「取り越し苦労」は「とりこしぐろう」と読みます。
「取り越し苦労」は「どうなるかわからないことを、あれこれと心配すること」という意味があります。
この先、どのような展開を迎えるのか、まるで予想できないような状況にもかかわらず、あれこれと心配をすることを「取り越し苦労」と言います。
例えば、友達に恋人ができると聞いた時、「お金かかって大変だよ」とか、「浮気されて苦しむよ」とか、「仕事や勉強に身が入らなくなるよ」などと、あれこれと心配をしてアドバイスしたとき、「それは取り越し苦労だよ」と言われそうです。
このように、就職や結婚など、新しい門出を迎える時、特に悪い兆しがあるわけではないのに、あれこれと心配をしてしまう場合、「取り越し苦労」と表現することができます。
「杞憂」とは?
「杞憂」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「杞憂」は「きゆう」と読みます。
「杞憂」は「心配する必要のないことを、あれこれ心配すること」という意味があります。
「杞憂」という言葉は、古代中国の杞の人が、天が崩れ落ちてくるのではないかと心配したことに由来するとされています。
空を見て、天が落ちてくるかもとおびえていたら、生活をするのが難しくなります。
同じように、住んでいるアパートやマンションが崩れたらどうしようと考えたり、道を歩いていたら、車が突っ込んでくるかもしれないなどと、あれこれ心配してしまう様子を「杞憂」と呼びます。
ただし、老朽化したアパートが崩れるかもと心配するのは当然で、ガードレールがないような道を歩いている時、自動車との接触を心配するのも当然のため、このような時は「杞憂」とは呼びません。
「取り越し苦労」と「杞憂」の違い
「取り越し苦労」と「杞憂」の違いを、分かりやすく解説します。
「取り越し苦労」は「どうなるかわからないことを、あれこれと心配すること」という意味があります。
一方の「杞憂」は「心配する必要のないことを、あれこれ心配すること」という意味があります。
このように「取り越し苦労」も「杞憂」も同じ意味がある、同義語と考えることができます。
そのため、「取り越し苦労」と「杞憂」は言い換えることができます。
ただし「取り越し苦労」の方が砕けた印象があり、「杞憂」の方がかしこまった印象があるため、ビジネスシーンでは「杞憂」を使い、普段の会話などでは、「取り越し苦労」という言葉を使うようにするといいかもしれません。
まとめ
「取り越し苦労」と「杞憂」の違いについて見てきました。
2つの言葉は、同じ意味がある同義語だということが分かりました。
与える印象が若干違うため、シーンに応じて使い分けてみてはいかがでしょうか。