「教育」と「啓蒙」の違いとは?分かりやすく解釈

「教育」と「啓蒙」の違い言葉・カタカナ語・言語

「教育」「啓蒙」は、人から教わるといった意味では同じ意味となる言葉ですが、実際には、どのような細かな違いがあるのか。

この記事では、「教育」「啓蒙」の違いを分かりやすく説明していきます。

「教育」とは?

「教育」とは?

「教育」とは、人を教え育てることです。

人を望ましい姿にするために、心身両面にわたり、働きかける行為を意味し、それは、意図的であり計画的に行われます。

知識を教え、技能を教え、人間性の涵養などを図り、その人の能力を伸ばそうとすることが「教育」となります。

決して、短期間で行われるものではなく時間を掛けじっくりと教え育ててこそ、「教育」です。

「教育」の使い方

「教育」は、一般的に「教育する」といった形で用います。

また、「教育」の場合、「教育のある」「教育のない」取った形で用いられるほか、「教育を受ける」「教育を終える」などといった使い方もあります。

そのほか、「教育委員会」「教育ママ」「教育学部」「教育費」などといった言葉もあります。

「啓蒙」とは?

「啓蒙」とは?

「啓蒙」には、人々に正しい知識を与え合理的な考え方ができるよう教え導くといった意味があります。

この場合、単に教え導くといったいみではなく、何も知らない人、無知な人に対し教え導くといったこととなり、非常に上からの目線での言葉となります。

そのため、差別用語と言われるほか、馬鹿にしているといったイメージを相手に与えてしまう可能性が高い言葉です。

「啓蒙」の使い方

「啓蒙」は、一般的に「啓蒙する」といった形で用います。

また、「啓蒙される」「啓蒙を行う」といった形で用いられ、「啓蒙活動」「啓蒙思想」「啓蒙主義」などといった言葉もあります。

「教育」と「啓蒙」の違い

「教育」と「啓蒙」の違い

同じ人に対し教える行為を意味する「教育」「啓蒙」ですが、それぞれの言葉が持つ意味には大きな違いがあります。

「教育」は、知識を教え、技能を教え、人間性の涵養などを図り、その人の能力を伸ばそうとすること、教え育てる行為です。

それに対し、「啓蒙」は、 同じ教える行為でも、何も知らない人、無知な人に対し教え導くといった意味があり、目上の人が目下の人に教える、といった意味となります。

「教育」の場合も、基本的に上の人が下の人に教えることが多くなりますが、「啓蒙」ほど、差別的で相手を侮辱するような意味で用いられることはありません。

この差別的、相手を侮辱しているといった点が、「教育」「啓蒙」の違いです。

「教育」の例文

「教育」の例文

・『子供が良い環境で教育を受けることができるように、結果的にお受験をさせることに決めました』
・『僕は、先生になるため、教育学部に進学することを決めました』
・『子供には、十分な教育を受けさせてあげたいと思っています』
・『子供が義務教育を終え、これで、一つ親の仕事が終わったような気がしています』

「啓蒙」の例文

「啓蒙」の例文

・『彼は、私たちの啓蒙を高めるため、様々な努力をしてくれています』
・『私の母は、啓蒙活動に余念がありません』
・『この本によって、私は啓蒙されました』
・『現在、啓蒙活動を行う際は、新聞ではなくネットが効果的です』

まとめ

まとめ

「教育」は、どのような立場の人にでも、どのような場所でも用いることが可能ですが、「啓蒙」の場合、差別的に捉えられる可能性もあるため、使用する際には注意が必要です。