この記事では、「忘我」と「無我」の違いを分かりやすく説明していきます。
「忘我」とは?
物事に熱中をして「わたし」を忘れてしまうことです。
「私は誰ですか?」と記憶喪失になることではなく、ある物事に夢中になってそれに意識が集中しているために、自分の存在を忘れてしまうようなことを意味します。
プラモデル作りが趣味の人のことで説明をします。
プラモデルには小さなパーツが多く、気をつけていないとパーツをなくしてしまいます。
組み立ては順序が決まっており、意識をしていないと間違えてしまいます。
そのため、プラモデルを作るときには、そのことだけに集中して、周りのことが見えなくなってしまいがちです。
特にそれが好きな人は、自分のことさえも忘れてしまうことでしょう。
話しかけられても気がつかないこともあります。
プラモデルを作ることだけに集中をしていて、自分を忘れていることのときの状態が「忘我」です。
「忘我」の使い方
何かに熱中をして自分を忘れているときの状態を指して使用をします。
何に熱中をするのかは人によって異なるため、さまざまな場面で使われます。
記憶喪失は自分のことを忘れていることがありますが、記憶喪失には使用しません。
「無我」とは?
「無我」には2つの意味があります。
ひとつは、自分だけの利益を考える気持ちがないこと、無心であることです。
親の中には、子どもに対して自分の利益を第一としない愛を注いでいる人がいます。
これをやってあげたからお礼をして欲しいなどは考えず、子どものことだけを考えて愛を注いでいるのです。
自分のことは置いておいて、子どものことだけを考えています。
この状態は「無我の愛」といえるでしょう。
もう一つの意味は仏語で、万物に内在をし常に変わらない実態など存在しないということです。
三法印のひとつです。
「無我」の使い方
「無我夢中」の形で使われることが多いです。
夢中とは、物事に熱中をして自分自身を忘れてしまう状態のことです。
「無我」をつけることで「夢中」の意味が強められています。
「忘我」と「無我」の違い
「忘我」とはある事に熱中をして自分を忘れてしまうことです。
「無我夢中」とすると、「忘我」とほぼ同じ意味になります。
しかし、使われ方に違いがあり、「遊ぶことに無我夢中」とはいいますが、「遊ぶことに忘我」とはいいません。
「無我」とだけした場合は、仏語の意味や、自分の利益だけを考える心がないことを意味します。
「忘我」の例文
・『忘我の中にいる』
・『忘我の状態』
・『忘我のとき』
・『忘我の境地に達する』
「無我」の例文
・『無我の境地』
・『無我夢中で走る』
・『無我に達するために努力する』
・『無我夢中で叫ぶ』
まとめ
「忘我」と「無我夢中」には、ある事柄に熱中をして自分を忘れるという意味があります。
「無我」とだけした場合は、自分のことだけを考える心がないという意味になります。