この記事では、「朴念仁」と「唐変木」の違いを分かりやすく説明していきます。
「朴念仁」とは?
「朴念仁」とは「ぼくねんじん」と読みます。
「朴念仁」とは、無口で愛想がない人、物分かりの悪い人という意味があります。
どちらかと言えば男性の性格を表す際に使われることが多い言葉です。
女性の心がわからない、扱い方が不慣れ、そのような際に言われるのですが、悪い印象ではなく、むしろ女性慣れしていない、純情な人という意味合いも含んでいます。
「彼みたいな朴念仁が、なぜ結婚することができたか不思議だ」「あの朴念仁には何を言っても駄目だ」などと使います。
「唐変木」とは?
「唐変木」とは「とうへんぼく」と読みます。
「唐変木」は気が利かない人、偏屈な人を罵っていう言葉です。
簡単に言えば「まぬけ」と同義語になるわけです。
「唐変木」と相手に言えば「まぬけ」と言っていることと同じですから、使い方には注意が必要です。
「親父は唐変木だから母さんがかわいそうだ」「唐変木のわからずや」などと使います。
「朴念仁」と「唐変木」の違い
「朴念仁」と「唐変木」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも人の性質を表す言葉という共通点がありますが、意味合いがまったく違います。
似た印象があるのですが、混同はできません。
それぞれの意味を理解して使い分けていきましょう。
「朴念仁」とは、無口で愛想がない人、ものわかりが悪い人といった意味があります。
またそのような意味合いから女性の心がわからない、恋愛に疎い男性に対して使われることが多い言葉です。
性格的なことを表しているだけですが、あまりいい意味とは言えませんので直接本人に言うことは少ないでしょう。
一方の「唐変木」とは、気が利かない人、偏屈な人に対して罵っていう言葉です。
また「まぬけ」という意味もありますので、いずれにしましても、悪口といった印象が強いわけです。
例えば、対応的に素直さがなく、ねじけていたり、頑固さを通しますと、相手としては頭にきて一言文句を言いたくなるものです。
そのような時、出てくる言葉が「この、唐変木」「唐変木のわからずや」なのです。
言葉の意味は悪い意味しかありませんので、面と向かっていう時は相手を罵っている、人に言う時は悪口になる、と覚えておきますとわかりやすいでしょう。
ここが「朴念仁」との違いになります。
「朴念仁」も意味合い的にはいいとは言えませんが、人を罵る言葉ではないのです。
簡単にまとめますと「朴念仁は無口、愛想がない、不器用系の人」「唐変木は気が利かない、偏屈な人、まぬけな人を罵って言う言葉」となります。
また恋愛に疎い、相手の気持ちがわからない、上手く振舞えないといった人を「朴念仁」と言い表すことがあります。
この際「唐変木」とは言いませんので混同しないように気をつけてください。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
「朴念仁」と「唐変木」の違いを解説しました。
どちらも人の性格を表す言葉ですが「唐変木」は罵っていう言葉です。
面と向かって使うことは通常であればないと理解しておきましょう。