この記事では、「忸怩たる思い」と「慙愧に耐えない」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「忸怩たる思い」とは?
「忸怩たる思い」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「忸怩たる思い」は「じくちたるおもい」と読みます。
「忸怩たる思い」は「とても恥ずかしい思い」という意味があります。
ちなみに「忸怩」は「深く恥じ入る様子」という意味があります。
何か失敗などをしてしまい、とても恥ずかしい思いをすることがあるかもしれません。
このような時の心境を、「大きなミスをしてしまい、忸怩たる思いでいます」などと表現することができます。
また、受験に失敗してしまった生徒を見ながら、先生が、生徒本人が悔しい思いをしているはずだと考えるのではないでしょうか。
このような場合、「生徒も忸怩たる思いがあるだろう」などと、つぶやくかもしれません。
このように、とても恥ずかしい思いを抱いている時、「忸怩たる思い」という言葉を使ってみましょう。
「慙愧に耐えない」とは?
「慙愧に耐えない」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「慙愧に耐えない」は「ざんきにたえない」と読みます。
「慙愧に耐えない」は「反省して恥ずかしく思う」という意味があります。
ちなみ「慙愧」は、「自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じ入ること」という意味があります。
過去にしてしまった過ちなどを思い出し、反省したうえで、恥ずかしいと感じる時、「若いころの自分のふるまいは、慙愧に耐えないものです」などと言うことがあるかもしれません。
また、会社の従業員が不祥事を起こしたとき、反省していることと、恥ずかしい思いを抱いていることを相手に伝えるため、「従業員の不祥事は、慙愧に耐えません」などと言うことがあります。
他にも、「このような負担を強いることは、慙愧に耐えない」などという文章を作ることができます。
「忸怩たる思い」と「慙愧に耐えない」の違い
「忸怩たる思い」と「慙愧に耐えない」の違いを、分かりやすく解説します。
「忸怩たる思い」は「とても恥ずかしい思い」という意味があります。
一方で、「慙愧に耐えない」は「反省して恥ずかしく思う」という意味があります。
どちらも、とても恥ずかしい思いを意味する言葉となります。
ただし、「忸怩たる思い」が「恥ずかしいこと」を意味するのに対して、「慙愧に耐えない」は、「反省したうえで、恥ずかしいこと」を意味する言葉になります。
このように、「忸怩たる思い」と「慙愧に耐えない」は、「恥ずかしいこと」を意味する言葉ですが、「反省」を前面に押し出しているのが、「慙愧に耐えない」という違いがあります。
まとめ
「忸怩たる思い」と「慙愧に耐えない」の違いについて見てきました。
2つの言葉には、明確な意味の違いがありました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。