この記事では、「畏敬の念」と「畏怖の念」の違いを分かりやすく説明していきます。
そっくりな言葉を、正しく見分けていきましょう。
「畏敬の念」とは?
畏敬の念(いけいのねん)とは、自分より優れている人を敬うこと。
尊敬のまなざしで接することです。
すばらしい人に対して、抱く気持ちを「畏敬の念」と呼んでいます。
もともと畏敬の念の「畏敬」には「かしこまる・うやまう」という意味があります。
自分には真似できない地位の人に対して、つつしみの気持ちが湧いてくるのが畏敬の念になります。
善悪の判断がついていて、正しい行いができる人。
人の見えない所で陰ながら努力している人、すばらしい大自然を称える表現が畏敬の念になります。
憧れの人、思わず頭を下げたくなる尊敬できる人につかいます。
「畏怖の念」とは?
畏怖の念(いふのねん)とは、恐ろしさを感じること。
相手の勢いに圧倒されて、しりごみする様子をあらわしています。
思わず後ずさりするくらい怖くなる感情、ひるんでしまう様子を畏怖の念と呼んでいます。
「畏怖の念」では「畏怖」という言葉がはいっています。
こちらには「おそれる・こわがる」という意味合いがあります。
どう頑張っても勝てそうにない相手に対して、恐怖に似た気持ちを抱くのが「畏怖の念」です。
自分の立場が脅かされてしまうのではないかという、人間らしい心情もあふれているのが「畏怖の念」になります。
「畏敬の念」と「畏怖の念」の違い
どちらも「~の念」となっているので、使い分けが難しいです。
「畏敬の念」と「畏怖の念」の違いを、分かりやすく解説します。
・恐ろしい気持ちの「畏怖の念」
「畏敬の念」と「畏怖の念」は両方とも似ていますが、憧れに似た気持ちが強いのは「畏敬の念」です。
尊敬しているメジャーリーガーや歴史上の偉人など、雲の上の存在につかいます。
また美しい大自然に対しても、用いています。
そして「畏怖の念」というのは、同じ土俵に立てない手ごわい相手をあらわします。
こちらが怖気づくくらい、猛特訓をつんでいる選手、そして仕事の鬼になっている上司がその例です。
平常心が保てず、まごついてしまう相手が「畏怖の念」です。
また畏怖の念は偉大な人物はもとより、冬山や流氷など大自然を相手に用いることも多いです。
人間が予想もつかないような、厳しい仕打ちを与える自然に対して用いています。
まとめると「畏敬の念」は尊敬してやまないアスリートや偉人に対して使います。
反対に「畏怖の念」は血まなこになって働いている、人間離れした人物に対してつかいます。
良い意味で使われやすいのが、畏敬の念。
マイナスの意味も含まれているのが、畏怖の念です。
まとめ
「畏敬の念」と「畏怖の念」の違いを分かりやすくお伝えしました。
どちらもひれ伏したくなる、慎みの心情をあらわします。
畏敬の念とは尊敬している人、憧れの人に対して用いる言葉です。
そして畏怖の念は、尊敬と恐怖が入り混じった、複雑な気持ちをあらわします。
うまく使い分けていきましょう。