「敬う」と言う意味が入っている言葉に、「畏敬」と「尊敬」があります。
この記事では、「畏敬」と「尊敬」の違いを分かりやすく説明していきます。
「畏敬」とは?
「畏敬(いけい)」とは、偉大な人やものをおそれ、敬(うやま)うことを言います。
「畏敬」を使った例文をいくつかご紹介します。
『大自然に対して、さらに畏敬の念を払いたい気持ちです』、『地元の発展に貢献した彼に、畏敬の念を抱いています』、『荘厳な神社の境内で、畏敬の念を込めて、お参りをさせていただきました』、『樹齢千年以上経っていると言われているこの木に、畏敬の念を覚えます』、『多くの偉業を残してきたこの偉人に、畏敬の念を抱いています』「畏敬」と似た意味を持つ言葉としては、「尊重」、「敬意」、あるいは「崇拝」などが挙げられます。
「尊敬」とは?
「尊敬」とは、相手の人格、能力、行為などを認めて尊び、敬うことを意味します。
「尊敬」を用いた例文をいくつか挙げてみます。
『私は学生時代の部活動の先輩を今でも尊敬しています』、『私には尊敬している恩師がいます』、『彼はまだ若いですが、多くの陰徳を積んでいるところが素晴らしいですし、尊敬できる人物です』、『あなたが尊敬している人物は誰ですか』、『どんな関係でも、お互い尊敬できる間柄が理想です』「尊敬」の類似語は、「敬う」、「尊重」、あるいは「仰ぐ」などがあります。
「畏敬」と「尊敬」の違い
「畏敬」と「尊敬」の違いを、分かりやすく解説します。
「畏敬」とは、偉大な人やものをおそれ、敬うことを表します。
一方、「尊敬」は相手の人格、能力、行為などを認めて尊び、敬うことです。
「尊敬」は人に対して使いますが、「畏敬」は人以外にも、自然や神仏などに対しても使うことができます。
また、「畏敬」と「尊敬」はどちらも敬う意味がありますが、「畏敬」はさらにおそれる気持ちも含まれています。
まとめ
私たちが普段目にしているものの中にも、「畏敬」の念を抱くようなものが存在しています。
それは自然にそう感じることができ、その時の感覚は言葉にできないものがあります。
視点を変えて、世の中を見てみることで、同じ景色でも、違う感覚で物事を見ることができるようになります。
世の中の見えているものや感じていることに対して、自分の思考や感情がいかに大きな影響しているかが分かります。
目に見えない存在でも、感じることで「畏敬」の念を抱くことがあります。
私たちは日頃、つい目の前の狭い視点に捉われ、ストレスになるような感情を抱きがちです。
ですが、そんな時こそ視点を変えて、もっと広い視野で物事を見ていくことが必要です。
また、「尊敬」できる人物がいることで、その人を目標として、自分を成長させていくことができるでしょう。
より豊かな人生を送るためにも、自分にとっての「畏敬」や「尊敬」の念を抱くことが出きるものや人物を敬い、人生のお手本や目標、または心の拠り所としていきたいものです。