この記事では、「竹馬の友」と「旧知の仲」の違いを分かりやすく説明していきます。
「竹馬の友」とは?
「竹馬の友」は、一応親友のことを意味するんですが、見捨てられた親友のことを意味します。
これはどういうことかを説明しますと、「竹馬の友」の語源が中国の軍人さんのお話で、竹馬に乗って遊んでいた友達を見捨てたというお話であるが故、見捨てられたお友達のことを意味するのです。
「旧知の仲」とは?
「旧知の仲」は昔から知っている中であるという意味で親友だったり、幼なじみだったり様々です。
両者が知っている間柄であるのが「旧知の仲」になり、切っても切れない縁があるが故に腐れ縁であるとする例もあります。
「竹馬の友」と「旧知の仲」の違い
両者の違いは縁にあり、縁切りをしているかしていないかです。
「竹馬の友」は実は縁切りというものをしており、一応友人だったという事実だけです。
「旧知の仲」はいまだ両者には縁があり、見知った中であるというのが両者の違いになります。
「竹馬の友」の例文
・『彼は竹馬の友と言える人物で外道である』
この例は、彼という人物がかつては友と言えた人物だったが外道に落ちたが故見捨てたという例です。
つまり、友人だったものを切り捨てて、友人ではないと述べているのがこの例になります。
「竹馬の友」はいわば切り捨てた友人のことで中国の軍人の人のお話から例えられるもので、彼は友人を切り捨て見捨てたが故、「竹馬の友」は友人を見捨てることにあり、どちらが格が上であるかを示す言葉でもあるのです。
「旧知の仲」の例文
・『私と社長は旧知の仲にある』
この例は、社長と自分の間柄が友人や幼なじみであるというものです。
ただし、相手側もそのような認識をしている必要性があり、相手側が否定をした場合、残念ですが、友人でも、幼なじみでもなく、腐れ縁ですらありません。
よってこのケースは、社長と呼ばれる人物もその事実を認めているということです。
よって安心して、両者は親友や幼なじみであると周囲に公言しているのがこの例になります。
まとめ
「竹馬の友」については、実は友人を見捨てることにあり、親友であることを公言する言葉ではありません。
よって、意味においては、かつては友人でしたが今は他人ですのように友人と呼べるものを切り捨てるのがこの言葉です。
結構「竹馬の友」=友人と考える人が多いのですがあれは間違いになります。
本当に両者が友人同士である場合は、「旧知の仲」が正しい日本語でこちらであれば両者が認めたうえで友人だと述べているのです。
ただ、「旧知の仲」も実は口裏を合わせて友人だと述べているケースもあり、実は友人だと言ってのける人物は本当は友人だと思っていないこともあり得ます。
言い方が悪いのですが「旧知の仲」は口裏を合わせれば、いかほどにもなる言葉でこれも実は裏では親友を裏切っている言葉でもあり、恐ろしい言葉であるとも言い切れるのです。