この記事では、「どんぐりの背比べ」と「いずれ菖蒲か杜若」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「どんぐりの背比べ」とは?
「どんぐりの背比べ」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「どんぐりの背比べ」は、「どんぐりのせいくらべ」と読みます。
「どんぐりの背比べ」は、「どれもこれも平凡で、特に優れて目立つものがないことのたとえ」という意味があります。
例えば、合コンに出かけたときに、メンバーの異性の容姿が、平凡で目立つような美形の人がいないという場合、「今回の合コンの参加者は、どんぐりの背比べで、選びようがない」などという文章を作ることができます。
また、企業の採用担当者が、面接をした学生に目立った人材がいないことを嘆くような場面では、「面接した学生たちは、どんぐりの背比べだった」などという文章にできます。
「いずれ菖蒲か杜若」とは?
「いずれ菖蒲か杜若」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「いずれ菖蒲か杜若」は「いずれあやめかかきつばた」と読みます。
「いずれ菖蒲か杜若」は、「どちらも優れていて優劣が付けにくいこと」という意味があります。
アヤメとカキツバタは似ているため、区別がつかないことから、この言葉が生まれ、源頼政が怪しい鳥を退治したとき、ご褒美として「菖蒲前」という美女を賜るとき、十二人の美女の中から選び出すように言われて呼んだ歌とされています。
例えば、取引先の会社に行った時、接した女性が美しい女性ばかりという場合があるかもしれません。
このような場合、取引先の担当者に、あなたの会社には美しい女性ばかりがいて、優劣が付けられないほどだと伝えたいとき、「あなたの会社は、いずれ菖蒲か杜若で、美女ぞろいですね」などという文章を作ることができます。
「どんぐりの背比べ」と「いずれ菖蒲か杜若」の違い
「どんぐりの背比べ」と「いずれ菖蒲か杜若」の違いを、分かりやすく解説します。
「どんぐりの背比べ」は、「どれもこれも平凡で、特に優れて目立つものがないことのたとえ」という意味があります。
一方で「いずれ菖蒲か杜若」は、「どちらも優れていて優劣が付けにくいこと」という意味があります。
二つの言葉は、どちらも、「選べない」という共通点の意味があります。
ただし「どんぐりの背比べ」は、選択肢になる人が平凡すぎて選べない場合に使うのに対して、「いずれ菖蒲か杜若」の場合は、選択肢になる人が、優れていて選べない場合に使うという意味の違いがあります。
このように、平凡な人の集まりを「どんぐりの背比べ」と呼ぶのに対して、優れた人たちのことを「いずれ菖蒲か杜若」と呼ぶという違いがあります。
まとめ
「どんぐりの背比べ」と「いずれ菖蒲か杜若」の違いについて見てきました。
2つの言葉には明確な意味の違いがありました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、きちんと使い分けることができるようになりそうです。