「見通し」と「見晴らし」の違いとは?意味や違いを簡単に解釈

「見通し」と「見晴らし」の違いとは?言い換え

この記事では、「見通し」「見晴らし」の違いを分かりやすく説明していきます。

「見通し」とは?

見通しとは、現在分かっている情報から物事の成り行きや将来を予測することをいいます。

「再開の見通し」とか「見通しが甘い」といった使い方をします。

見通しには最初から最後まで見続けるという意味もあります。

また、人の心など目に見えない内面を見抜くことを見通しということもあり、「何でもお見通し」といったりもします。

それから見通しには、遮るものがなく遠くまで見えるという意味もあります。

「見晴らし」とは?

見晴らしとは、広く遠くまで見渡すことやその景色のことをいいます。

「見晴らしが良い」とか「見晴らしがきく」といった使い方をします。

「見晴らしがよい」という場合、景色が美しいという意味ではなく遮るものがなく視界が開けているという意味で用いられます。

「見通し」と「見晴らし」の違い

見通しも見晴らしも、遮るものがなく遠くまで見渡せることをいいます。

見晴らしには広く見渡せるというニュアンスもあり、景色そのものを指す場合もあります。

見通しは遠くまで見渡せるというニュアンスが強く、景色そのものは指しません。

また、見通しにはそれ以外の意味もあり、物事の成り行きや将来を予測するという意味で用いられることが多いです。

「見通し」の例文

・『資材の調達の遅れもあって工事が中止になっていましたが、来週中には再開できる見通しです』
・『予想よりも売上が伸びないのは、見通しが甘かったからだと思います』
・『ここは見通しのきく展望台ですね』

「見晴らし」の例文

・『山の中にあるホテルですが、見晴らしは最高です』
・『見晴らしの良いロケーションが魅力の結婚式場を探しています』

まとめ

見通しも見晴らしも遮るものがなく遠くまで見渡せることを表しています。

見通しには、物事の成り行きや将来を予測するという意味もあります。