「しがない」と「世知辛い」の違いとは?分かりやすく解釈

「しがない」と「世知辛い」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「しがない」「世知辛い」の違いを分かりやすく説明していきます。

「しがない」とは?

「しがない」とは?

「しがない」とは、つまらない、取り上げる必要もないといったように、対象を蔑んで表す言葉になります。

そして、「しがないサラリーマンをしています」などとして、自ら(が所属している組織)がそれであると謙る為の表現だと考えてください。

よって、「しがない会社ですが~」「しがないフリーのカメラマンで~」などと用いて、自分や所属する組織が取るに足りない存在だという表現になります。

「世知辛い」とは?

「世知辛い」とは?

「世知辛い」とは、生活しにくい、住みにくいという意味で使われる言葉です。

「全く、世知辛い世の中だよ」のように使う言葉で、何かと厳しい世の中だという解釈になり、よく見聞きする使い方となっています。

生活に関連して、思っていたような結果ではなかった時にも使われる言葉で、例えば、今年のボーナスは去年と比べてどうだった、といったアンケートで、軒並み去年以下だという結果が出たような時に、「世知辛い結果に終わった」と使うという具合になります。

「しがない」と「世知辛い」の違い

「しがない」と「世知辛い」の違い

「しがない」「世知辛い」の違いを、分かりやすく解説します。

「しがない」は、つまらない存在だと表現する為の言葉で、「世知辛い」は、世の中の無常を表す表現だと解釈していいでしょう。

「しがない」は、自らを下卑して使う表現になるので、使い方に注意してください。

「世知辛い」という言葉は、仏教からきており、「世知」は、「世俗の知恵」を略したものです。

簡単に表現すると、世の中を生き抜いていく為のあらゆる術(すべ)のことで、それが発揮しにくいという解釈から成り立っている表現になります。

まとめ

まとめ

「しがない」「世知辛い」は、このような言葉になります。

「世知辛い」は、「せちがらい」と平仮名のまま使われることも多く、その場合でも特に意味に変わりはありません。