「心が広い」と「寛大」の違いとは?分かりやすく解釈

「心が広い」と「寛大」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「心が広い」「寛大」の違いを分かりやすく説明していきます。

「心が広い」とは?

「心が広い」とは?

「心が広い」とは、小さなことにせこせこしていない、心がゆったりとしているという意味で使います。

例えばひどいことをされても怒らなかったり、許してあげるという行動をとれば、それは「心が広い」となるわけです。

「あの人は心が広いと言うけど、たんなるお人好しじゃないか?いいように利用されているだけだ」「裏切った相手を受け入れるなんて随分と心が広いことだ」「もっと心が広い人になりたい」などと使います。

「寛大」とは?

「寛大」とは?

「寛大」とは「かんだい」と読みます。

この言葉は名詞、形容動詞として使い、意味は心が広くて思いやりがある、そのような事柄や様子を言います。

「なにとぞ寛大な処置でお願いいたします」「あれだけの浮気を許してやるなんて奥さんは随分と寛大な人だ」「私はあなたのように寛大にはなれない」などと使います。

「心が広い」と「寛大」の違い!

「心が広い」と「寛大」の違い!

「心が広い」「寛大」の違いを、分かりやすく解説します。

この言葉は、言い方が違うだけで、どちらも同じ意味です。

「寛大」は名詞、形容動詞で、「心が広い」という言葉を文章表現にする時、一言で言い表したい時に使います。

また人にお願いごとをする時なども「心が広い対応でお願いします」などと言うのはおかしな表現になりますので「寛大な処置でお願いいたします」という風に使います。

「心が広い」は、日常会話などでよく使う言い回しです。

人に対して思いやりがあり、相手に非があっても気にせず受け入れてあげる、そのような言動を見た時に「あの人は本当に心が広い」「あなた、心が広いのね」という風に使います。

あえて違いをあげるならば「心が広いは簡単な言い方」ということになります。

まとめ

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「心が広い」「寛大」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。

同じ意味となっていますので、どちらを選んでも会話、文章の意味が変わることはありません。

言葉の意味を正しく理解して使っていきましょう。