みなさんは「高邁」と「高慢」という言葉がどのような意味を持っているかご存知でしょうか?
この記事では、「高邁」と「高慢」の違いを分かりやすく説明していきます。
「高邁」とは?
「高邁」は「こうまい」という読み方になります。
この「高邁??」とは「気高くて衆に優れていること」「志などが高くて衆に抜きん出ていること」、あるいは「そのようなさま」を意味する言葉です。
「高慢」とは?
「高慢」は「こうまん」という読み方になります。
この「高慢」とは「うぬぼれが強くて高ぶっていること」「自分の才能や容貌などが人より優れていると思い上がって人を見下すこと」といったような意味を持つことなです。
「高邁」と「高慢」の違い
ここで「高邁」と「高慢」の意味の違いについて見て言くことにいたしましょう。
どのような相違点があるのでしょうか?前項で触れたように「高邁??」は「気高くて衆に優れていること」「志などが高くて衆に抜きん出ていること」などの意味を持っています。
一方の「高慢」は「うぬぼれが強くて高ぶっていること」、あるいは「自分の才能・容貌などが人より優れいると思い上がって、人を見下すこと」を意味しています。
このことから「高邁」は良い意味で使われていますが、「高慢」は悪い意味で用いられていると言っていいでしょう。
「高邁」の例文
ここで「高邁」の例文を見て行くことにしましょう。
具体的には以下のような文章が挙げられます。
・『彼は高邁な精神で物事に取り込んでおり、誰もが認めているところだ』
・『高邁な理想に燃えた部下の仕事ぶりは、上司の私が見ていても惚れ惚れしてしまう』
「高邁」の例文を見て行くと、自分に誇りを持って物事に臨んでいることが理解できます。
高邁な人は誰が見ても、いい感じを与えてくれるのかもしれません。
「高慢」の例文
続いて「高慢」の例文を見て行きましょう。
この言葉はどのような使い方ができるのでしょうか? ・『彼はいつも高慢な態度を取っていたので、1度懲らしめてみた。これで少しは反省してくれるといいのだが』
・『高慢なことばかり言っているウチの課長は部下に対して厳しいが、部長も見ると態度を一変させてしまいます』
「自分が偉いと思って、周りの人を見下す」という意味を持つ「高慢」は、悪い意味で使われることが多いのですが、高慢な人はある意味、感謝する心を持ち合わせておらず、可哀相な人間かもしれません。
まとめ
ここまで「高邁」と「高慢」の意味と違いを説明してきました。
2つとも「高」という文字が含まれているために、見た目は同じ解釈になるように思えてしまいます。
しかし、実際の解釈は全く異なる言葉であることがお分かりになったのではないでしょうか?常に気高い志で物事に臨む高邁な人は多くの人に感動を与えるでしょうが、他人を見下す「高慢」な人は常に周囲から嫌われてしまう存在です。
私たちも人を馬鹿にするような気持ちを持たないとようにして、常に感謝する気持ちを忘れないようにしていきたいものです。