この記事では、「一蓮托生」と「運命共同体」の違いを分かりやすく説明していきます。
「一蓮托生」とは?
「一蓮托生」とは、「いちれんたくしょう」と読みます。
もともとの意味は、仏教用語で死んだ後に、極楽の同じ蓮華の上に生まれ変わることを言います。
仏典にはないのですが日本の浄土信仰から生まれた考えとなっています。
そこから、結果はどうであれ、最後まで行動、運命を共にするという意味になります。
いい意味、言葉に思えますが、実は悪いことを一緒にすることにも言います。
どちらかと言えば悪い意味合いで使われることも多い印象です。
「運命共同体」とは?
「運命共同体」とは、一方の調子の良さ、悪さといったものが、他方にも同じように関わってくるといったような意味になります。
「彼と僕は運命共同体」「あいつらは運命共同体だから、必死になっている」などと使うのですが、「同じ将来を持っている者たち」という意味合いなのです。
状態が良ければ同じく良いのですが、片方がつまづきますと、もう片方も将来的に一緒につまづき悪くなるということになります。
いいことにも悪いことにも使う言葉です。
「一蓮托生」と「運命共同体」の違い!
「一蓮托生」と「運命共同体」の違いを、分かりやすく解説します。
この言葉は少なくとも二人以上の人間に対して使う言葉という点では共通しています。
ですが、言葉が持つ意味が違いますので、それを理解して使っていくようにしましょう。
まず「一蓮托生」ですがこれはもともと仏教用語で、死後、極楽の同じ蓮華の上に生まれ変わるという意味があります。
ですが、一般的に使う場合は結果はどうであれ最後まで行動、運命を共にするという意味になります。
どちらかと言えば悪いことを共にするという時に使われています。
一方の「運命共同体」ですが、これは特に一緒に何かをする仲間という意味があるわけではありませんが、一方の盛衰がそのまま同じように他方の盛衰になるような関係性を意味していますので、一緒に何かをする者同士であることが多いのです。
例えば、夫婦、仕事仲間、つるんでいる親友同士といった人は「運命共同体」になりやすい関係性と言えるでしょう。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
「一蓮托生」と「運命共同体」、二つの言葉の意味と違いを説明しました。
もともとの言葉の意味を正しく理解した上で使っていくようにしましょう。