「もちのろん」と「もちろん」の違いを分かりやすく解釈

「もちのろん」と「もちろん」の違い新語・ネット語

この記事では、「もちのろん」「もちろん」の違いを分かりやすく説明していきます。

「もちのろん」とは?

「もちのろん」とは、昭和時代の俗語で、意味は「もちろん」と同じです。

使い方としては、日常会話において「自信を持って言える時」「もちのろんだ」「もちのろんよ」などと使われてきました。

俗語ですから、親しい間柄、くだけた会話として使います。

仕事、目上の人には相手から使われても自分は使わない方が賢明です。

現在においては「当たり前田のクラッカー」同様、死語とされていますが、ウケ狙いなどでわざとに使うこともあります。

「もちろん」とは?

「もちろん」とは、わざわざ議論するまでもなく、すでに結論は出ている、決まっているという気持ちを表す副詞です。

「もちろん、私は参加する」と言えば、「言うまでもなく、私は参加する」という意味なのです。

この「もちろん」という言葉は漢字を当てるならば「勿論」となります。

「論ずる勿れ」という意味から「もちろん」という言葉になったということも覚えておくと理解が深まります。

「彼は勉強ができるのはもちろんのことで、運動もすごくできる」「もちろん、私は彼女の味方ですが、でも彼女も反省しなきゃいけないと思っています」などと、使います。

「もちのろん」と「もちろん」の違い!

「もちのろん」「もちろん」の違いを、分かりやすく解説します。

この二つの言葉はどちらも同じ意味です。

会話や文章においてどちらを選んでも、意味は変わりません。

ですが「もちのろん」は使う場所、相手を選ぶ言葉です。

と、言いますのも「もちのろん」とは昭和時代の俗語であり、一般的には死語とされているからです。

昭和時代の俗語が通じる相手かつ、死語をあえて面白いと理解するタイプでないと、引かれたり、場合によっては意味が通じないということもありえます。

一方の「もちろん」「もちのろん」のもともとの正しい言葉です。

これは副詞として言うまでもなく結論は決まっているという気持ちを表す言葉です。

例えば「明日来てくれる?」と聞かれた時に「もちろん」と一言答えれば、それは快諾の意味として通じます。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

「もちのろん」「もちろん」二つの言葉の意味と違いを説明しました。

同じ意味ですが、「もちのろん」は昭和時代の俗語、かつ死語であると覚えておきましょう。