「レゾンデートル」と「アイデンティティ」はどちらも、存在の意義や自分らしさに関係する単語です。
何となくイメージは掴んでいるものの、どう違うか説明を求められたら困るかも知れません。
そこで、この記事では、「レゾンデートル」と「アイデンティティ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「レゾンデートル」とは?
「レゾンデートル」はフランス語で、和訳すると存在意義・存在価値を示す言葉です。
哲学や文学界で良く使われる単語として知られています。
他者の中で自身が、いかにして個として周囲と区別され、一人の人間として存在するかを考えるのが特徴です。
この言葉は、特にその存在の中核・核心部分を意味しており、これなしでは、その存在は成立しえません。
言い換えれば、「レゾンデートル」を失った場合は、別の存在になってしまいます。
「アイデンティティ」とは?
「アイデンティティ」は英語で、和訳すると同一性を意味します。
その意味は、自身が認める自分らしさがあり、それを周囲からも認識されていること。
自身の認識と行動、社会からの認識が一致されます。
この同一性が喪失した場合は、「アイデンティティ」が失われたと表現することが多いです。
自分の認識通りに行動ができない場合や、社会がその人の個性を認めない場合が、典型例と言えます。
「レゾンデートル」と「アイデンティティ」の違い
「レゾンデートル」と「アイデンティティ」の違いを、分かりやすく解説します。
これらの言葉を区別する要点は、それを失った時に交換できるか否かと言う部分です。
「レゾンデートル」を失うと、その存在は維持されません。
しかし、「アイデンティティ」を失っても存在自体は存続し、別の自分らしさを見つけることが可能です。
具体的に見ていきましょう。
深紅のバラにとっては、赤くあることが「レゾンデートル」です。
しかし、バラにとってはそうではありません。
赤でも青でも、その色自体は「アイデンティティ」なのです。
今、読者が眺めているディスプイは、視覚情報を表示することが「レゾンデートル」になります。
サイズや映像の走査方式、描画エンジンの違いは「アイデンティティ」です。
日本人で言えば、和食を食べるのをやめたり、髪の毛を染めても、日本人としては存続します。
一部の「アイデンティティ」は失っても、日本人であると言う、我々の存在自体は消えません。
もし、それを失うと日本人とは言えない要素があれば、それが我々にとっての「レゾンデートル」と言えるでしょう。
まとめ
「レゾンデートル」と「アイデンティティ」の違いについて解説してきました。
参考になれば幸いです。
両者ともに自分らしさを現しますが、「アイデンティティ」は変更ができる要素なものの、「レゾンデートル」はそうではないと覚えておきましょう。
存在を定義する上で、より核心部分に近いのが「レゾンデートル」です。
意味を明確にしたついでに、自身にとっての存在意義を考えてみてはいかがでしょう。