この記事では、「思い立ったが吉日」と「善は急げ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「思い立ったが吉日」とは?
何かをしようと思ったら、その日がはじめるのにいい日だと思って、すぐに始めるのがよいという意味です。
何かをしようと思っても、ぐずぐずしてしまうことがあるでしょう。
たとえば、ダイエットをしようと思っているけれど、目の前においしいものがあって食べてしまい、「ダイエットは明日からにしよう」となってしまうなどです。
このような態度をこの言葉は指しているのではありません。
ダイエットをしようと思ったら、思った日から始める。
このような態度をこの言葉は意味しています。
思い立つとは、何かをしようという気持が出てくることです。
吉日とは縁起がよい日のことで、何かをするのによい日とされています。
何かをしようと思ったら、その日が縁起がよい、何かをするのによい日なのです。
「思い立ったが吉日」の使い方
ことわざとして使用をします。
「早速はじめよう」と他の人にすすめたいときや、自分が行動するときに使用されています。
「善は急げ」とは?
やろうかどうか考えてぐずぐずとしていないで、よいことはすぐに行え、という意味です。
善とは、よいことです。
人としての正しい行動や、すじ道が通っていることをいいます。
「善は急げ」の善は、電車で席を譲る、ゴミ拾いをするなど、社会的に正しいとされている行動を指す場合もあれば、自分にとってのよいことを指す場合もあります。
自分にとってのよいこととは、たとえば、マスクをしても崩れないファンデーションを買おう、月に1万円は貯金しようといったことです。
「善は急げ」は、よいことはぐずぐずしないで、すぐに行動しなさいという意味になります。
「善は急げ」の使い方
ことわざとして使用をします。
正しい行いや好ましいことは、あれこれと悩まないですぐに行動しなさい、ということを指しています。
「思い立ったが吉日」と「善は急げ」の違い
どちらの言葉にも、ぐずぐずしないですぐに行動しなさい、といった意味が含まれています。
しかし、まったく同じことを意味しているのではありません。
前者は、何かをしようと思ったら、その日が始めるのによい日だと思ってすぐに行動しなさいという意味です。
よい行い、という意味は含まれていません。
後者は、よいと思ったことはすぐに行動しなさいという意味です。
その日が縁起がよいから始めなさい、といった意味は含まれていません。
「思い立ったが吉日」の例文
・『思い立ったが吉日とすぐ行動する』
・『思い立ったが吉日だと友人が言っていた』
「善は急げ」の例文
・『善は急げとすぐに行動する』
・『善は急げというけれど、やっぱりぐずぐずしてしまう』
まとめ
どちらの言葉にも、すぐに行動しなさいといった意味が含まれていますが、同じことではありません。
一方ははじめるのによい日だと思ってすぐやりなさい、もう一方はよいことはすぐにやりなさい、といったことを指しています。