「観念奔逸」と「支離滅裂」の違いとは?分かりやすく解釈

「観念奔逸」と「支離滅裂」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「観念奔逸」「支離滅裂」の違いを分かりやすく説明していきます。

「観念奔逸」とは?

「観念奔逸」とは?

「観念奔逸」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「観念奔逸」「かんねんほんいつ」と読みます。

「観念奔逸」「考えが次々と決まらずに、ほとばしり出る状態」を意味します。

話があちこちに飛んで、まとまりのない話なってしまうような状態を指します。

いわゆる「躁うつ病」の、躁状態になったときに出てくる症状になります。

躁状態になることで、異常に気分が高揚することによって、次々と考えが浮かんでくるようになる状態で、「観念奔逸」になっている本人にとっては、素晴らしい考えなので、他の人に伝えたくなってしまいます。

しかし、聞いている側からすれば、まとまりのない、不思議な話になってしまっています。

このように、次々と考えが浮かんでくるものの、まとまりのないわき道にそれやすい話をする状態の人を、「観念奔逸」と言います。

「支離滅裂」とは?

「支離滅裂」とは?

「支離滅裂」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。

「支離滅裂」「しりめつれつ」と読みます。

「支離滅裂」「物事に一貫性がなく、まとまりがないこと。

その様子」
という意味があります。

例えば、会議中に誰かが発言したとき、一貫性のない内容で、まとまりがないと感じた場合は、「君の話は支離滅裂だ」などと注意されるかもしれません。

また、経営者の方針が、二転三転して、何をしたいのかさっぱりわからないような場合は、「社長が支離滅裂になっている」などと言います。

さらに、レポートを提出しようと、徹夜して書き上げたものの、翌朝読み返してみると、まとまりがない場合は「レポートが支離滅裂になってしまった」などと嘆くかもしれません。

このように、物事に一貫性がなく、まとまりが感じられないとき、「支離滅裂」という言葉を使ってみましょう。

「観念奔逸」と「支離滅裂」の違い

「観念奔逸」と「支離滅裂」の違い

「観念奔逸」「支離滅裂」の違いを、分かりやすく解説します。

「観念奔逸」は、「考えが次々と決まらずに、ほとばしり出る状態」を意味します。

一方の「支離滅裂」「物事に一貫性がなく、まとまりがないこと。

その様子」
という意味があります。

どちらも、話のまとまりがない状態を意味しますが、「観念奔逸」は、一つ一つの話のつじつまが合うものの、どんどん話が広がっていき、まとまりがない状態を意味します。

一方の「支離滅裂」は、一つの話にまとまりがなく、つじつまが合わない様子を示唆します。

また「支離滅裂」は、通常の状態でも起こることですが、「観念奔逸」は、やたらとテンションが高い、躁状態であるという違いがあります。

まとめ

まとめ

「観念奔逸」「支離滅裂」の違いについて見てきました。

話に一貫性がない場合は「支離滅裂」を、話が次々と飛んでいく場合は、「観念奔逸」を使うようにしてみましょう。

2つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに済みそうです。