「腰抜け」と「腑抜け」の違いとは?分かりやすく解釈

「腰抜け」と「腑抜け」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「腰抜け」「腑抜け」の違いを分かりやすく説明していきます。

「腰抜け」とは?

「腰抜け」とは?

「腰抜け」は臆病で意気地がなく、思い切った行動ができなかったり人や、そういう状態を意味する言葉です。

何かを怖がっていると人は本能的に身を守るように体を丸めてしまいますが、その状態を腰が引けると言います。

いつもそうして腰が引けているような人、何をするにも腰が入らない様子から、腰が入っていない、つまり腰が抜けているということで、臆病な人を「腰抜け」と言うようになりました。

またそこから転じて、何事にも悲観的に考えてしまい、行動を起こす勇気がなく、何かをすることに消極的で及び腰な人も「腰抜け」と言われます。

「腰抜け」は、臆病であったり意気地なしであったり、はたまた勇気がなくて消極的であったりと、精神的に気が引けている人や事を指す言葉です。

「腑抜け」とは?

「腑抜け」とは?

「腑抜け」は気力が欠片もなく、へたれこんでいたり、まるでしっかりしていない様子やそういった人を指します。

腑と言うのは内臓という意味もありますが、人の心や魂は内臓に宿っていると言う思想があったので、心や性根と言った意味もある言葉です。

そのため「腑抜け」というのは、内臓と心を丸ごと抜き取られているかのように、何もする気力がない状態を指します。

意気地がない、消極的と言う意味で使われることもありますが、内臓や心が抜け落ちているようなと言う例えであり、それがかなり深刻である、手の打ちようがないという表現です。

また「腑抜け」は元からそう言う性分の人に対して使われることありますが、なんらかの原因で何もできなくなるくらい気落ちした人の状態を指すことにも使われます。

「腰抜け」と「腑抜け」の違い

「腰抜け」と「腑抜け」の違い

「腰抜け」「腑抜け」の違いを、分かりやすく解説します。

「腰抜け」は臆病で意気地なしなせいで常に腰が引けている人を指す言葉であり、「腑抜け」は気力や精神力が全くなく、まるで頼りない様子やへたれこんでいる人を指す言葉です。

「腰抜け」はその人の性根を指す言葉ですが、「腑抜け」は何らかの原因で気力が欠片も湧かなくなってしまった人の状態を指すこともあり、性根だけを指すとは限りません。

また「腰抜け」は勇気が足りないことや思い切りが足りないという精神的な欠点を馬鹿にする言葉ですが、「腑抜け」は気力や精神力がないせいで、何の行動も起こせなかったり、頭の回転が十分でないなど、精神面以外の問題を指摘することにも使われます。

他にも「腰抜け」は人をけなすことにだけ使われますが、「腑抜け」は気力が完全に抜け落ちている様子を表現するために、悪意なく使われることもあるのも両者の違いです。

まとめ

まとめ

「腰抜け」「腑抜け」も消極的で意気地がないことを指すことにも使われる言葉ですが、なぜそのような意味になったのかには違いがあります。

「腰抜け」は何事にも腰が入らない勇気のなさや臆病さを指し、「腑抜け」は内臓と心根が抜け落ちているようで何事にも気力がないことを指すと覚えておきましょう。