「身から出た錆」と「自業自得」の違いとは?分かりやすく解釈

「身から出た錆」と「自業自得」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「身から出た錆」「自業自得」の違いを分かりやすく説明していきます。

「身から出た錆」とは?

「身から出た錆」とは?

この言葉の意味は自分の犯した悪い事の結果として自分自身が苦しむことになるということです。

この言葉は江戸時代のいろはかるたの中に出てくるこ言葉です。

身というのは刀でいうはがねの部分のことで鞘に納める部分のことを言います。

そこから出た錆びということで、刀の価値が失われてしまうことを表します。

普段から手入れしていないと刀の身は錆びてしまい、刀を使う時になると使い物にならない、ということになります。

自分自身が守れないため危険になります。

現代では刀を使ったり手入れしたりすることはほとんどありませんが、この言葉は使い続けられています。

「身から出た錆」の使い方

多くは、その人自身や周りの人がその行動は良くないことだと気づいている場合に使います。

そして気づいているにも関わらずその行動をし続けた結果に何か悪いことが起こったような場合に使います。

例えば、犬の散歩中に飼い主がフン拾わなかったとします。

帰り道にそのフンを踏んでしまって靴が汚れてしまった、ということがあれば「身から出た錆」だという言葉が使えます。

しかし、あまりない事ですが、仮に飼い主が会話などしていて犬がフンをしたことに気付かなかった場合、本人に悪い事をしたと気づかなかった場合この言葉はあまり適切ではないです。

「自業自得」とは?

「自業自得」とは?

自ら行ったことの報いは自分自身が受ける、という意味です。

もとは仏教の言葉です。

自分がした善悪の行為によって、自分自身が苦楽の結果を招くということです。

この言葉の反対の意味に当たるものは「運否天賦」という言葉があり、これは運命は天が左右するという意味です。

また人の幸せや不幸は予測できないという意味の「人間万事塞翁が馬」という言葉もあります。

「自業自得」の使い方

現代では特に悪い事を行った場合にその報いを受けるのは当然であるという意味で使われています。

人を戒めたり、その人の行動を反省をさせるために言ったり、または見放す時に素使われたりします。

「身から出た錆」と「自業自得」の違い

「身から出た錆」と「自業自得」の違い

「身から出た錆」は特に悪い行いにのみ使う言葉です。

「自業自得」に対してはいい事にも悪い事にも使うことができますが、最近の傾向としては悪い事に対して使われることが多いです。

「身から出た錆」の例文

「身から出た錆」の例文

・『浮気して両方の女の子に振られるのは身から出た錆だよ』
・『犬をいじめていた少年が噛みつかれたのは身から出た錆だ』

「自業自得」の例文

「自業自得」の例文

・『そんなにたくさん食べて気持ち悪くなるのは自業自得だ』
・『ずっと勉強してなかったから試験に落ちたのも自業自得だ』

まとめ

まとめ

今回の言葉は現代の使われ方としては非常に意味が似ているものでした。

どちらも結果は自分次第ということを言っています。

“仏教”から伝わった言葉と江戸時代の生活の知恵が書かれている“いろはかるた”“の言葉でした。

どの国の人も同じことを思っていると感じました。