日本においては、さまざまな種類の宗教が存在していますが、日本語の言葉に多大な影響を与えているのは神道と仏教でしょう。
特に仏教思想の独特の熟語は、古くから日本語の中に入ってきていて、既に切り離せないものになっています。
例えば、「畜生」や「鬼畜」は、人間らしさを失ったような行いに対して使われる言葉としては小説などを中心に頻繁に使われてきました。
この記事では、「畜生」と「鬼畜」の違いを分かりやすく説明していきます。
「畜生」とは?
「畜生」とは、元々は仏教の「六道」の思想の中で定義されている「動物や虫などが暮らす世界」のことを指す言葉で、正式には「畜生道」と言います。
そこから派生して、「人間としては残酷すぎるような行い」あるいは「そのような行いをする人」のことを示すようになりました。
また、最初の意味に沿って、動物や虫などを「畜生」と呼ぶこともあります。
さらには、相手をなじったり、状況に関して悔しがったりするときの独り言としても使われるようになりました。
一般の人が使用するケースとしては、おそらく最後の使用法であることが最も多いでしょう。
「鬼畜」とは?
「鬼畜」とは、元々は仏教の「六道」の中の「餓鬼道」と「畜生道」を合わせたものです。
この2つの世界は「六道」の中でも下に位置する「三悪道」として位置付けられているので、2つを合わせるということは、およそ人間の世界ではあり得ないような非道い行いのことを指す言葉として使われます。
「六道」とは、上から「天道」「人間道」「修羅道」「畜生道」「餓鬼道」「地獄道」で、世に生まれたものはこの6つの世界を輪廻転生して渡ってゆくと言われています。
「畜生」と「鬼畜」の違い
「畜生」と「鬼畜」の違いを、分かりやすく解説します。
これらは仏教において輪廻転生する「六道」という思想からきた言葉です。
どちらの言葉も仏教の意味から派生した「人間らしくない行い」を示すようになっています。
この2つの違いはその「六道」の中で見れば明確です。
「六道」の中の「三悪道」と呼ばれるものの一つが「畜生道」であり、もう一つの「餓鬼道」と合わせて「鬼畜」といいます。
これがそのまま定義の違いとなります。
「畜生」の例文
「畜生」の例文は以下のようになります。
・『畜生とは、人を罵る時にも使われます』
・『畜生道において救いを与える観音様は馬頭観音だと言われています』
「鬼畜」の例文
「鬼畜」の例文は以下のようになります。
・『鬼畜と呼ばれる行為は人としておよそ行うべきではないものを指します』
・『能における鬼畜ものには動物や天狗などが登場します』
まとめ
この記事では、「畜生」と「鬼畜」の違いを、解説してきました。
この2つの言葉は、字面も発音も意味も全てが、人を不快にするような表現だと感じる人が多いものです。
小説や映画などの物語中でそのような不快さを狙って意図的に使われる場合もあり、そのようなケースでは、既に仏教の教えからは離れて、イメージとして一人歩きしていると言っても良いでしょう。