この記事では、「野次」と「罵声」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「野次」とは?
「野次」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「野次」は「やじ」と読みます。
「野次」は、「やじること。
また、その言葉」という意味があります。
また「やじる」には、「他人の言動に対して、大声で非難したり、冷やかしの言葉を浴びせかけること」という意味があります。
誰かが何かを言った時、それに対して大声で非難したり、冷やかしたりする場合、その行為や言葉を「野次」と呼びます。
特に「野次」は国会の場面で見ることが多く、与党の誰かが発言すると、野党の議員が大声で非難したり、冷やかしたりします。
同様に、野党の意見に対して、与党が大声で非難する場面が、国会中継などを通じてみることができます。
このような場面を「与党の議員の発言に対して、野党がヤジを飛ばす」などという文章にできます。
野党と与党が、大声で非難しあっている場合は、「国会で野次の応酬が始まった」などと言うことができます。
「罵声」とは?
「罵声」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「罵声」は「ばせい」と読みます。
「罵声」は、「口汚くののしる声」という意味があります。
誰かが誰かに対して口汚くののしっている声を聞いた時、「罵声」という言葉を使ってみましょう。
例えば、プロ野球の試合を見ている観客が、選手のエラーなどを見たとき、口汚くののしることがあります。
このような時、「エラーしたプロ野球選手に、ファンが野次を飛ばす」などという文章にできます。
また、職場の誰かがミスをしたとき、上司が口汚くののしっていた場合は、上司が部下に罵声を浴びせる」などと言います。
「野次」と「罵声」の違い
「野次」と「罵声」の違いを、分かりやすく解説します。
「野次」は、「やじること。
また、その言葉」という意味があります。
一方、「罵声」は、「口汚くののしる声」という意味があります。
「野次」は、他人の言動に対して、大声で非難したり、冷やかしたりしますが、本気で相手に対して憤っているというより、「馬鹿にしている」というニュアンスが強くなります。
一方「罵声」の場合は、言葉により相手を威嚇し、自分の思い通りにしようとしているというニュアンスがあります。
そのため、「罵声」の方が、言われた側にとっては深刻で、場合によってはパワハラにもつながるような行為になります。
一方の「野次」は、大人なら受け流せるような行為になります。
このように「野次」は相手を馬鹿にすることが目的で、「罵声」は相手を威嚇することが目的という違いがあります。
まとめ
「野次」と「罵声」の違いについて見てきました。
2つの言葉には、明確な意味の違いがありました。
「野次」と「罵声」の違いを知ることで、混同せず、きちんと使い分けることができるようになりそうです。