この記事では、「衰弱死」と「餓死」の違いを分かりやすく説明していきます。
「衰弱死」とは?
体が衰えて死ぬことです。
体の勢いがなくなり、死を迎えることを意味します。
10代、20代くらいのころは、筋力があり活発に活動をすることができます。
胃、腸、心臓など臓器を動かすためには筋肉が必要です。
筋肉が十分にあれば、こういった臓器をしっかり働かせることができます。
しかし、年齢を重ねると筋肉の量が少なくなってきます。
そして、胃や腸などの働きが落ちてきます。
人間が生命を維持できているのは、臓器が働いて、食べた物を栄養素として吸収をし、体が利用をしているからです。
臓器がしっかり働かなければ、体を維持するために必要なエネルギーを十分に獲得することができません。
そして、体の機能がますます衰えてきます。
以前は活発に走り回ることができていたのに、だんだんとそれができなくなってきます。
さらに、免疫力も落ちてきます。
「衰弱死」は病気ではなく衰えて死ぬことですが、実際には何らかの病気になっていることが珍しくありません。
免疫力が落ちると感染症にかかりやすくなり、感染症によって死を迎えることもあります。
「衰弱死」の使い方
病気ではなく、自殺でもない原因、つまり体の衰えによって生命を失うことを指して使用をします。
「餓死」とは?
食べるものを得られずに死を迎えることです。
人間が生きていくためには、食べものを口にして栄養素を摂取する必要があります。
肉、魚、米、野菜、果物といったものから、タンパク質、脂質、糖質、ビタミン、ミネラルなどを得て生命を維持しています。
食べるものがないと、生命を維持するために必要なものを体内に取り込むことができません。
必要なものを得られなければ、体は衰えていきます。
そして、死を迎えてしまうことがあります。
現在の日本では食べるものが十分にありますが、海外では毎日の食べものを得ることに苦労をしている人たちがいます。
そういった国では、この言葉が意味する死を迎える人たちが少なくありません。
「餓死」の使い方
食べるものを得られず、それが原因で生命を失うことを指して使用します。
「衰弱死」と「餓死」の違い
どちらの言葉も生命を失うことを意味していますが、どういった理由で生命を失うのかという点に違いがあります。
「衰弱死」は体の衰えによるものです。
食べるものがないと体は衰えますが、それ以外の理由で衰えることもあります。
食べるものがないからという意味は、この言葉には含まれていません。
「餓死」は食べるものを得られず、それが理由で死を迎えることです。
「衰弱死」の例文
・『衰弱死で亡くなる』
・『衰弱死だと判断された』
・『衰弱死で苦しまなかっただろうか』
「餓死」の例文
・『餓死者が出た』
・『餓死者が後を絶たない』
・『餓死者を減らすように援助をする』
まとめ
生命を失うことに関係する言葉ですが、どういった理由で生命を失うのかという点に違いがあります。