「理知」と「知恵」の違いとは?分かりやすく解釈

「理知」と「知恵」の違い言葉・カタカナ語・言語

この記事では、「理知」「知恵」の違いを分かりやすく説明していきます。

「理知」とは?

「理知」とは?

「理知」とは、物事を論理的に組み立てることができそうであることを述べ、主に「理知的」な何々という形で使用します。

「理知」は、出来そうであるという言葉から見てわかるように○○のようであるという具合に様子を指し示す言葉です。

その為、「知恵」のようにそのものが初めから備わっているかどうかについては関係なく、あくまで容姿が頭がよさそうであるというのが「理知」です。

「知恵」とは?

「知恵」とは?

「知恵」は、分かり切っている事実においてどうであるかを述べており、「知恵」という単語だけでは単に知識や物事の道理などを理解しているにすぎません。

そこで、「知恵がある」「知恵が無い」という形で知識や物事の道理を理解しているかを述べるのです。

「理知」と「知恵」の違い

「理知」と「知恵」の違い

「理知」「知恵」の違いは意味合い的には同じですが、あえて言うのであれば、「理知」はそう見えることで様子や容姿を意味し、要は賢そうである様です。

一方、「知恵」は確たる事実で賢いか頭が悪いかのどちらかかどちらでもないありさまを言い表す言葉になります。

よって違いは、賢そうである様子を意味するか、事実賢いか普通であるか頭が悪いという事実を述べるかです。

「理知」の例文

「理知」の例文

・『理知的な顔立ちをしている』
この例は、顔のみにおいて賢そうであるとしています。

その為、実際に対象が頭が良いかどうかは未知数であると述べています。

「理知」は、「理知」だけであれば、一応賢いことを意味するのですが、「理知がある」とは呼びません。

何故なら「理知」は言動や容姿でのみ賢い様子を指すので言ってしまえば、容姿に左右されているのです。

「知恵」の例文

「知恵」の例文

・『悪知恵が働く』
この言葉は、知識が悪い方向においてのみ発揮されているということです。

その為、この言葉を述べた側は対象が頭が良いことを認めたうえで悪い方向にその知識を使用しているとしています。

もしくはこの言葉は、第三者ではなく自分で述べている場合、自分から悪い方向に知識があると認めているのです。

無論自分からそういったことを述べるのは褒められたことはではありませんが、別に自分で自分に対して悪い方向になら頭が良いと言ってはいけないという決まりはありません。

まとめ

まとめ

「理知」については、実のところ、「知恵」と同じです。

ですが、あえて違いをつけるとすれば、「理知」は単体で使用する言葉ではなく、「理知的」のようにそう見えることに使用されます。

というのも、「理知」という言葉自体が言動だったり容姿などで相手側に頭が良いと錯覚させるというニュアンスがあるため、「知恵」と異なり頭が良いか悪いかという単純なはかりで示すことができない言葉です。

逆に、「知恵」は、「知恵」という言葉が単体で機能し、「知恵」があるか無いかで頭が良いか悪いかが分かるのです。

その為、「理知」があると言われるとニュアンスとしては、頭が良いように見えるというニュアンスになります。