この記事では、「二枚舌」と「嘘つき」の違いを分かりやすく説明していきます。
「二枚舌」とは?
「二枚舌」は、最初に話した内容と全く矛盾することを言い出すことで、仏教では、舌が言葉を話す一つの物質であると考え、この舌が善と悪に分かれている故矛盾が生まれると解釈しました。
よって、「二枚舌」は矛盾を述べることです。
ただ、「嘘つき」と考えてもよく、「嘘つき」も矛盾したことを述べるので「二枚舌」は「嘘つき」としても問題はありません。
ただ、「二枚舌」は、嘘により相手を陥れることも優先するため、かなりたちが悪いです。
「嘘つき」とは?
「嘘つき」は、対象に対し、虚偽の内容を話すことで、話す内容は相手を陥れることであってはいけません。
これを相手を陥れるために嘘をつくとなると「二枚舌」になり嘘によって自分が得をするという物になり、かなりたちが悪い人間であると言われます。
「二枚舌」と「嘘つき」の違い
「二枚舌」と「嘘つき」の違いは、嘘をつく際に、相手を陥れようとする思惑があるかどうかです。
「嘘つき」は、相手を陥れた場合、「二枚舌」という言い方に変化しますので、「嘘つき」で終わるためには、相手を陥れてはいけません。
逆に、嘘によって相手に損害や自己に利益を生み出してやろうと考えた場合、「二枚舌」になり、自分が得をして相手は損をするのです。
よって両者の違いは、相手を陥れ自分だけ得をしようとするかです。
「二枚舌」の例文
・『山田さんは二枚舌でいつも周囲を困らせる』
この例は、山田さんは、自分が得をするために嘘をつくという例です。
「二枚舌」は、自己が得をして、対象が損をするという物で嘘によって得するものと損をする物に分かれます。
「嘘つき」の例文
・『田中さんは嘘つきだ』
この例は、田中と言う人物は嘘をつくというだけです。
まだ、「嘘つき」ですんでいるということは、相手に対して損害を被らせたり、嘘で自分だけ得をするようなことは行っていません。
まとめ
「二枚舌」に関しては、自分が得をして相手に損害を与えるという要素が大きいです。
特に「二枚舌外交」という物がまさに自分が得をするために嘘を平気でついて外交を行い、外交に矛盾が生まれます。
例えば、Aという国とBという国が仲が悪い場合、両者と外交を行い両者の見方をすれば矛盾が生まれ信用を失うのが「二枚舌外交」です。
一方、「嘘つき」は、得とかそういう物はどうでもよく、嘘をつくことが重要で相手に対して損害を与えようとまでは思いません。
よって、「二枚舌」の方がかなり悪質で相手に損害を与えたうえで自分だけが得をするという考えからなるため、仏教では悪であると決められています。
逆を返せば、仏教では、自分が得をしない、他者に損害を与えない場合、嘘をつくことが許容されており、嘘をつくこと自体は許容されています。
仏教は、どちらかというと他人に迷惑をかけることを許さないというスタンスです。