この記事では、「卑屈」と「卑下」の違いを分かりやすく説明していきます。
「卑屈」とは?
自分を卑しめて服従、または妥協しようとする態度や姿勢です。
これは自分の価値を必要以上に下げていじける様子を表します。
これは、人からの評価などは関係なく、あくまでも自分自身が評価をしている状態で、自分を軽蔑しくじけてしまっていることです。
卑屈になっている状態では、その原因になった出来事に対しては、全く自身を喪失しており、再び挑戦する気持ちがない状態です。
使い方としては、「卑屈になる」や「卑屈な態度」のように言動に対して使う場合と、「昔は卑屈だった」などのように思考や性格に使う場合があります。
「卑屈」という言葉は非常にネガティブな状態を表す言葉なので、卑屈になっている印象があまりにも強いと相手との良いコミュニケーションがとれません。
“どうせ”や“わたしなんか”という言葉を使うと卑屈になっているように感じられてしまいます。
なるべくこのような言葉を使いすぎないようにすることで円滑なコミュニケーションをとることに繋がります。
「卑屈」の対義語は「傲慢」や「横暴」です。
「卑下」とは?
自分をあえて本来よりも低い位置に引き下げて控えめな態度をとったり謙遜することです。
これは「卑屈」と違って自分に自信がなくなってする行為とは少し目的が違います。
多くの場合は相手から見た自分の印象を操作するという目的があります。
例えば、自分が役職などについており明らかに人より立場が上の場合に自分を「卑下」する場合です。
自分が自信家だと思われないように、とか相手の立場まで下がって好感を持たれるようにする目的があります。
また、別の場合では失敗した時の予防線を張るために使用したりします。
しかし、「卑下」という行為を多用しすぎると、目的が明らかに分かってしまい本心を話していない人、と言う印象を持たれてしまいます。
「卑下」は相手に気を使わせすぎてしまう場合もありますので使いすぎないように注意したいです。
「卑下」の対義語は「自信」や「自慢」という言葉です。
「卑屈」と「卑下」の違い
「卑屈」と「卑下」の違いを、分かりやすく解説します。
「卑屈」は精神状態がネガティブな状態になっていて自身を失くしてしまって出てくる自分への言葉です。
「卑下」は精神状態は至って普通であり、相手との円滑なコミュニケーションのために使用する自分への言葉になります。
それぞれの対義語からもわかるように「卑屈」のほうが乱暴な印象があります。
まとめ
どちらも自分のことを本来より悪い位置に捉えて言う言葉でした。
日本の場合は、謙虚や控えめなことが素晴らしいとされている文化ですので、このようなことも悪い事とは捉えられていませんが、あまり多用するのはよくないです。
現代は多様性が認められている世界ですので、それぞれの個性に自信を持って生きていきたいです。