この記事では、ともにふびんと読む言葉「不憫」と「不敏」の違いを分かりやすく説明していきます。
「不憫」とは?
かわいそうなこと、哀れむべきことという意味を持っており、かつては不便という意味を持っていましたが現在では使われていない意味です。
「不憫な子供」「不憫な思いをさせる」などのような気の毒な状況、可能であれば手を差し伸べるべきである対象に使うことが多くなっています。
とても不憫、ひどく不憫と言った強調した使い方も可能です。
世の中や政治の立ち位置としては不憫な状況はなくすべき方向に一応は動いてはいますが、なかなかうまく言っていないのも事実と言えるでしょう。
不憫で申し訳ないという使い方では、不憫な目に合わせてしまったことを詫びるという意味合いになります。
昔話やおとぎ話の主人公は不憫な生い立ちであるケースが多いと言えます。
「不敏」とは?
敏ではないということで、俊敏ではないということや、才能に乏しいこと、愚かであることを指す言葉です。
へりくだって使うこともあり、「不敏なものですがよろしくお願いします」などのような使い方ができます。
あまり幅広く使われている言葉とはいい難く、鈍足ということを不敏と言い換える例もほとんど見られず、不敏者といった言い回しも見られません。
不憫と混同して使われているケースも有り、この場合の意図は不憫になってしまいます。
なお、非常に不敏、凄く不敏というような強調も可能ではあります。
ネガティブな意味の言葉で、へりくだって使うことは出来ますが、バカという言葉のような広い意味合い、ともすればプラスの意味合いすらありうるような言葉とは言えません。
「不憫」と「不敏」の違い
「不憫」と「不敏」の違いを、分かりやすく解説します。
ともにふびんと読むことは共通していますが、不敏の現在の意味はかわいそうなこと、哀れむべきこととなっており、最初につく不は憫という言葉を否定しているものではないところが特徴的です。
不敏は敏という言葉を否定しているもので、俊敏ではないこと、才能がないことや愚かなことを指す言葉となっています。
不敏で不敏な人物という使い方も不可能ではありませんが実際の使用例は少ないと言えるでしょう。
不憫は自称すると言うよりは自分の子供や助けたい対象を指して言う言葉となっていますが、不敏は自分を指して使うことが出来、へりくだって自分を紹介するときに使うことがあります。
なお、不敏という言葉は意味合いが愚かというよく使われる言葉の割に非常に使用例の少ない難しい言葉とも言えます。
不憫は物語に使われることもあるため、利用頻度は不敏よりは高めです。
まとめ
不憫と不敏は意味合いが全く異なる言葉であるため、不敏で不憫な人物という使い方もできます。
不憫の逆の意味は多幸などが当てはまり、不敏の逆の言葉は俊敏などが当てはまると言えるでしょう。
不憫は昔話に現れるため、比較的幼少の頃から触れる言葉と言えます。