この記事では、「純情」と「純真」の違いを分かりやすく説明していきます。
「純情」とは?
「純情」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「純情」は「じゅんじょう」と読みます。
「純情」は、「純真で邪心のない心。
その心を持っている様子」という意味があります。
心に穢れがない人を見たとき、「純情」という言葉を使ってみましょう。
例えば、思春期を迎えたばかりの男女の中には、心に穢れがないタイプの人がいるかもしれません。
このような人は、「純情そうな男子」とか「純情な娘」などと言い表すことができます。
また、「純情」という言葉を使った四文字熟語に、「純情可憐(じゅんじょうかれん)」という言葉があります。
「純情可憐」は「素直で穢れがなく、いじらしくていとおしく感じられる様子」という意味があります。
若い男女、特に少女に使われる言葉で、「純情可憐な少女」などという文章を作ることができます。
好きな人を見るだけで頬を赤らめてしまうような人を見たとき、「純情すぎて、好きな人を目の前にすると頬が赤らむ」などという文章にできます。
「純真」とは?
「純真」という言葉には、どのような意味があるでしょうか。
「純真」は「じゅんしん」と読みます。
「純真」は「心に穢れのないこと。
邪心がなく清らかなこと。
その様子」という意味があります。
心の中に1点の曇りもないような、清らかな人を見たとき、「純真」という言葉を使うことができます。
特に、少年少女などに使うことが多い言葉になります。
心がまるで汚れていないような少女に見つめられると、戸惑ってしまうかもしれません。
このような時、「純真な瞳を向けられて、戸惑った」などという文章を作ることができます。
また、「純真」を使った言葉に、「純真無垢(じゅんしんむく)」があります。
「純真無垢」は、「心が清らかで飾り気のないこと。
邪心のかけらもなく純粋であること」という意味があります。
「純真無垢な心を持った少年と話をすると、こちらの穢れが消えそうだ」などという文章にできます。
「純情」と「純真」の違い
「純情」と「純真」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも、心に穢れがない人の様子を言葉にしたものという共通点があり、ほとんど同じ意味を持つ言葉と言えるでしょう。
ただし、「純情」は、どちらかといえば、世慣れをしていない人が持つ、穢れのなさという印象のある言葉になります。
大人になれば失われてしまうような穢れのなさを意味します。
一方で「純真」は、穢れのなさが完璧で、1点の曇りもないような印象のある言葉となります。
このように、「純情」は「世慣れしていないがゆえの、穢れのなさ」を意味し、「純真」は「完璧な穢れのなさ」を意味するという違いがあります。
まとめ
「純情」と「純真」の違いについて見てきました。
2つの言葉はとても似ていて、ほとんど同じ意味を持ちます。
ただし若干のニュアンスの違いがあると考えることができます。