この記事では、「茶番劇」と「猿芝居」の違いを分かりやすく説明していきます。
「茶番劇」とは?
「ちゃばんげき」と読み、その場にある品物を持ち、身振りなどで滑稽なことを演じる座興のことを指します。
また、底の見え透いた、馬鹿げた出来事のことをいいます。
「茶番」ということもあります。
もともと、「茶番」とは、お茶の当番のことでした。
役者の見習いが、お茶を出す担当をしていたことから、「茶番」と呼ばれていました。
「茶番」が、かくし芸や、芝居を披露するようになり、「茶番芝居」や「茶番」と呼ばれて、民衆に広まっていきました。
芝居をする立茶番(茶番狂言)と、セリフで楽しませる口上茶番(見立茶番)というジャンルを築き、人気となりました。
また、お茶当番が、楽屋でお茶や菓子を振舞うときには、滑稽なことをすることもありました。
落語に「一分茶番」【いちぶちゃばん】というものがあります。
あらすじは、素人芝居の役者が急に来なくなってしまい、困った世話役が、飯炊き男に一分の賃金を払って代役を頼むというものです。
現代では、見え透いている下手な芝居、バカバカしいことなどを表す言葉です。
「茶番劇」の使い方
見え透いている振る舞いをしていることに対してや、結末や意図がわかりきっていることに対して使います。
「茶番劇のようだ」、「茶番劇を繰り広げる」などと、使用します。
「猿芝居」とは?
「さるしばい」と読みます。
猿を訓練して芝居の真似をさせる見世物のことです。
転じて、現代では、下手な演劇やすぐに種のわかる浅はかな企みのことを表すようになりました。
「猿芝居」の使い方
内容のないこと、体裁だけを整えているときなどに使用します。
「猿芝居はよせ」、「猿芝居を見破られた」などと、使います。
「茶番劇」と「猿芝居」の違い
ほとんど同じ意味ですが、「茶番劇」には、くだらないという意味があります。
「猿芝居」は、どちらかというと浅はかや、中身が無いという意味があります。
よって、「とんだ茶番劇だ」と言った場合には、くだらない、見え透いていることという意味ですが、「とんだ猿芝居だ」と言った場合には、偽物じみていて下手くそだという意味になります。
「茶番劇」の例文
・『近頃、選挙は茶番劇だと思うようになってしまいました』
・『自分はどうしてこのような茶番劇を見せられているのだろうか』
・『スポーツの試合中に乱闘が起きるのは、茶番劇にしかみえない』
「猿芝居」の例文
・『猿芝居が終わり、二人がニヤニヤと目配せしているのを目撃してしまった』
・『父に母を騙す芝居に付き合えと言われたが、これが猿芝居なので、なんとかして断りたい』
・『お前が犯人だということは分かっている。猿芝居はもう止めるんだ』
・『あなたの魂胆は分かっています。いつまでも猿芝居に付き合うことは出来ません』
まとめ
「茶番劇」と「猿芝居」は、ほとんど同じ意味で使われている言葉です。
茶番は、滑稽なこと、バカバカしいことを指します。
猿芝居は、猿は人間ではないことから、偽物感や、見え透いているという印象が強い言葉になります。