この記事では、「屯田兵」と「開拓使」の違いを分かりやすく解説していきます。
「屯田兵」とは?
屯田兵とは、とんでんへいという読み方をすべき言葉です。
漢字で書かれたこの言葉を見れば理解出来る事でしょうが、兵士が辺境の地を守りながら農業に従事するや皇室用の田等の意味の屯田という漢字に、戦士や軍人といった意味がある兵の漢字を付け加える事で成立した言葉となっています。
だからこそ屯田兵は、明治政府が北海道の開拓と警備を行うべく設置した農兵を表すのです。
「屯田兵」の使い方
屯田兵は、明治時代に北海道を開拓しつつ警備する目的で設置された兵士を表現する言葉として使われています。
派遣されたのは主にその当時貧困状態だった元士族達であり、彼らが北海道に移り住んでその地を開拓して農業を行いながら、ロシアに対する警備も行っていたのです。
この様に屯田兵は、北海道の開拓だけでなく、明治維新により職を失ってしまった士族達の受け皿的な役割も担っていました。
「開拓使」とは?
開拓使とは、かいたくしという読み方をする言葉です。
文字で表記されたこの言葉を目にすれば分かる事ですが、荒野をひらいて田畑にする事や新分野を切りひらく等の意味を持つ開拓の文字に、つかいや差し向けて用をさせるといった意味を有する使の文字を組み合わせる事で誕生した言葉となっています。
そのため開拓使は、明治初期に北海道や樺太の開発のために設けられた機関を示すのです。
「開拓使」の使い方
開拓使とは、北海道と北方領土を開発するため明治政府が1869年に設置した組織を示す際に用いる言葉となっています。
使という文字から、開拓するために派遣された人という意味に取る人もいますが、開拓使は人ではなくあくまで北海道を開拓するために当時の政府が作った機関を表現する点には注意が必要です。
ちなみに開拓使という組織自体は、1882年に廃止となっています。
「屯田兵」と「開拓使」の違い
屯田兵と開拓使は、文字を見比べても使用されている漢字は全然違っており、しかも読み方も特に似ておらず全然違う言葉同士です。
とはいえややこしいのが、どちらも明治時代に北海道の開拓が行われた際に関連して使用されるので、意味を混同する恐れはあります。
ただし屯田兵は、明治政府が北海道の開拓と警備を目的に派遣した元士族を中心とした農兵を表す言葉です。
一方の開拓使は、明治政府が明治2年に北海道と樺太開発のために設けた機関を示します。
まとめ
2つの言葉は、使用されている文字も読み方にも特に共通する部分は見当たりません。
所がどちらも明治時代に行われた北海道と北方領土の開拓に関する言葉であるため、いざ使い分けを意識すると迷ってしまう人もいます。
なのでそれぞれの言葉が持つ意味を、明確に理解しておく事が大事です。
まず屯田兵は、明治政府が北海道の開拓と警備を行うために設置した農兵を意味します。
対する開拓使は、1869年に北海道と樺太を開拓すべく明治政府が設置した機関を示す際に用いる言葉です。