この記事では、「面映ゆい」と「照れくさい」の違いを分かりやすく説明していきます。
「面映ゆい」とは?
直接顔をあわせてそれをするのが何となく恥ずかしいさまです。
ある人がよい行いをしました。
この人はほめてもらおうと思って何かをしたのではありません。
よいことをしたところを、別のある人が見ていました。
これを見た人が、よいことをした人をほめました。
ほめてもらおうと思ったわけではないので、直接ほめられると何となく恥ずかしいです。
相手の顔を直接見たり、素直にほめ言葉を受け取ったりすることが恥ずかしく感じてしまいます。
こういったさまを意味する言葉です。
幼友達に久しぶりにあったときに、この状態になる人もいます。
幼いころのことを知っている人に出会うと、何となく恥ずかしいです。
小さなときには、恥ずかしいことをいろいろやってしまいがちです。
大人になってから考えると、あのときやったことは人に知られたくないなどと思ってしまいます。
幼友達はそういったことを知っている存在で、会うことが恥ずかしいです。
「面映ゆい」の使い方
直接顔をあわせてそれをするのが何となく恥ずかしいさまを指して使用する言葉です。
ほめられたときに使うことが多いです。
「照れくさい」とは?
きまりが悪い、何となく人目につきたくないといった意味です。
浅草で人力車に乗ることで説明をします。
人力車など滅多に乗れるものではありません。
珍しいものなので人が集まってきます。
人力車に乗って街を移動していたら、いろいろな人がこちらを見てきました。
観光地を案内してもらうために停車したときには、いろいろな人が写真をとってきました。
人の注目を集めて恥ずかしいです。
何となく人目につきたくないという気持ちも出てきます。
このときのさまを意味します。
今度は夫婦のことで説明をします。
この夫婦は結婚して50年になります。
今まで感謝の気持ちを述べたことはありませんでしたが、結婚記念日に「ありがとう」と夫が妻に伝えてみました。
今まで言ったことがない言葉を伝えるのは、何となく恥ずかしいです。
これを、「感謝を伝えるのは照れくさい」などといったりします。
「照れくさい」の使い方
人目につきたくないような思いをしたり、気詰まりだったりするときに使用をします。
「面映ゆい」と「照れくさい」の違い
恥ずかしいといった意味を持つ点が似ていますが、使い方に違いがあります。
「面映ゆい」は、それをしたり、されたりするのが、何となく恥ずかしいときに使用をします。
「照れくさい」は人目につきたくない、気詰まりといったときに使用をします。
「面映ゆい」の例文
・『ほめられて面映ゆい』
・『みんなの前で表彰されて面映ゆい』
「照れくさい」の例文
・『照れくさいといいながらみんなの前で挨拶をする』
・『照れくさいけれど会ってみる』
まとめ
恥ずかしいといった意味合いが似ていますが、2つの言葉は使い方に違いがあります。