この記事では、「性格」と「性分」の違いを分かりやすく説明していきます。
「性格」とは?
「性格」は、対象となる人物が持つ感情や思考回路のようなもので、日常の生活や教育によって変化する人間の傾向です。
つまり、善なる心を持つ者でも悪人になる要素はあり、日常生活や教育によって悪人になったり善人という傾向に偏るのが「性格」です。
よって「性格」は一応、柔軟に変化する人間の傾向になります。
ただし、「性格」の変化は、ほんの少しの間だけで柔軟に変わるが故、元々が中立である場合悪に傾こうとも再度中立になったり善になったりするのが「性格」です。
「性分」とは?
「性分」は、対象となる人物が元々持っている性質で考え方が変わらないものです。
つまり、人間の根本的な思考回路が悪であった場合、悪であるのは変わらず、善人の行動をとるのは悪行を行う上で得であると考えるのが「性分」で、この傾向は絶対に変化しません。
よって、改心という形で悪人が善人になっても、悪人だった時の本質は変わらないので悪に戻ろうと思えば、簡単に戻ります。
「性格と「性分」の違い
両者の違いは、環境変化によって変わるか否かです。
つまり、悪人が善人の行動をとるのは環境が変化して悪より全の行動を取れば得だと考えますが、「性分」は、悪は悪で環境が変わっても行動を変えませんし思考も変えません。
「性格」の例文
・『山田さんは他人を陥れる性格である』
この例は、山田さんという人物が他者を陥れる傾向にあるというものです。
なお、「性格」は一応矯正が可能で、見かけだけであれば、まっとうに見える者へと変えることが可能です。
ただ、山田さんの考え方と行動原理の根本が悪人だった場合、残念ですが、「性分が悪であるが故、山田さんは悪人であり、改心という心変わりをしても根本は悪になります。
「性分」の例文
・『すぐに手が出る性分である』
この例は、体に染みついている根本的な行動原理がすぐに手が出るというもので、これは矯正できません。
行動原理は、生まれてからある程度すると決められた行動をとるようになり、この時の行動が悪に見えるか善に見えるかで善と悪に分かれ真の善人であるか、悪人であるかが問われます。
なお、手が出るというだけでは、善であるか悪であるかはわからず、「弱きものを助けずにはいられない性分」のように善である、悪であるということが表面化してない限りは、悪の行動原理や善の行動原理であるとはわかりません。
まとめ
「性格」については、どちらかというと嘘をついてでも自分をよく見せようとするが故、見せかけだけで損得を図り、悪であっても全の行動をとることで得をするなどが、「性格」です。
一方で、「性分」は、人間の行動原理のことで、これは生まれながらの性質なので成長とともに形成され、固定化されるが故、意識しても変わらないです。
よって、悪人側の行動原理である場合、悪人に近い思考回路や行動をとり、心を入れ替えても悪であることに変わりなく、悪に戻ろうと思えば簡単に戻ります。